社会のレールを外れることは、結構怖いもので。
この身一つで本当に生きていけるのか、
仕事がないんじゃないか、
路頭に迷うんじゃないか、
友人に見下されるのではないか、
家族に迷惑をかけるのではないか、
などなど、
様々なことが頭をよぎる。
レールに乗っていればやはりメリットは大きくって。
仕事やお金のこと、社会的な信用のこと、老後のこと、見栄、などなど。
同時に失うものももちろんあるのだが、得るものが大きく見えてしまう。
逆にレールを外れることで失うものは、レールに乗ることで得るもの、なわけだ。
でも個人的にはレールを外れることの最大の弊害は上にあげたどれでもなくて、なによりも
「人との繋がりの機会の減少」
であるように思うんだよね。
レールに乗っていれば、様々な繋がるための環境をわりと手軽に手に入れられる。
仕事場に行けば同僚と会えるし、学校に行けば友人に会える。
しかもみんなと同じ目的で行動するわけで、絆も深まる。
人はやっぱり誰かと繋がっていたい生き物であるわけで。
ひとりぼっちに耐えれるほど強くはない。
おれ自身、大学院に行くことを辞めて、自分の表現したいものを創り上げる生き方をしているけど、
一番つらいのは、
作品が作れなくなることでも、
反応が得られないことでも、
お金がないことでもなくて、
リアルな人との繋がりが減ってしまうこと、
なんだよね。
リアルな人との繋がりがないと自分の好きなことをしている、していないに関わらず、やっぱり人は病んでしまう。
それは理屈云々ではなく本能なんだと思う。
レールを外れ、一人で活動したりすると、出来る限り多くの時間を自分の活動に当てたくなるし、どうしても人と関わる時間が減ってしまう。
だから意識的に繋がらないとどんどんエネルギーがなくなってしまう。
そんなわけでレールを外れた生き方をしようとする場合、なにより大事なのは
いかに人と繋がる場所を確保しておくか
という工夫であるんだと思う。
そういう場を意識的に作っておく必要があるんだと思う。
というわけで例えば単純に人と話すだけの場でも良いので、
リアルなつながりを保証する場をつくるのは
生き方とか働き方がどんどん多様化していくだろうこれからの時代において
ある意味、社会インフラ的な存在として必要なのだと思うのです。
レールを外れた人、ドロップアウトして模索している人、一人で活動することが多い人、
そういう人が過剰にならずに、気楽に繋がれるシェアハウスというか
コミュニケーションする時間をシェアするような空間を作れればいいな、と思っています。
いや作っちゃうか。
というわけで、そのために今後動いていこうと思います。