なんとなく自分を持て余している。
くすぶっている感じがする。
いつも胸の中を黒い感情が這い回る。
このままでいいのかとふいに不安に襲われる。
そんな感覚を10年近く抱き続け、過ごしてきた。
これだ、というものもなく、敷かれたレールの上をなんとなく歩いてきた。
何か本気になれるものがない。
おれだって本気になりたいのに。
本気になれよ、と言われることがよくある。
例えば受験
例えば部活
例えば研究
例えば就活
大人たちは良さそうなものを提示して本気でやってみな?なんて言う。
それぞれの価値観の中で精一杯良さそうな提案をしてくれる。
おれを思ってのことだ。
おれのためなんだろう。
でもその言葉の奥に、「理想の若者」になれよ、とでもいうような圧力も感じたりするのだ。
そして不幸なことにおれは彼らの提案に本気になれるほどの情熱を結局感じられなかった。
なんとかして期待に応えようと自分を奮い立たせようとしたこともある。
モチベーションアップとか
自己啓発とか
そんなものを取り出して、理想の若者を演じようとした。
必死に。
本当に必死に。
期待してくれる誰かの、その期待にどうにかして応えたくて。
でも例え、そこでそれなりの結果は出たとしても、やっぱりおれは本気にはなれなかった。
というよりも、それなりの結果が出ているからこそ、諦められなかったりもする。
絶望的に結果が出ないなら、すっぱりと期待に応えることなんて諦めようと思えていただろう。
でも、ノウハウやテクニックでなんとなくの結果は出てしまうのだ。
そしてそんななんとなくの結果ですら喜ぶ誰かが居てくれて。
そんな姿を見ると、余計に今更止めることはできなくなる。
そうしてまたなんとなくのテクニックを繰り出していく。
そんな悪循環をもう自分にも止められなくなる。
このまま、何一つ本気になれぬまま、なあなあの日々を過ごし、一生を終えていくのだろうか。
そんな苦しさを感じる一方で、「理想の若者」を演じた先にある幸せもふつーに分かる。
でも自分の演技に気づいたその時から、おれはもう、気づかなかったことにしていた頃の自分には戻れないのだろう。
どんなテクニックもノウハウも、最後の最後、感情だけは誤魔化せない。
だからきっと、もうおれは「理想の若者」にはなれないのだろう。