のさかんぱにー!

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男が下ネタ嫌いでもいいじゃない。下ネタくらい言えて一人前という風潮に物申したい。

男はみんな下ネタ好き??

んな訳ねーだろ!

下ネタの一つでもいえないと男として情けないみたいな風潮にモノ申したいと思います。

男は下ネタ好きじゃないといけないのか?

以前Twitterでつぶやいたこんなツイートが地味に反響があって。

 

男は下ネタが言えて一人前、みたいな感じってあるような気がするんです。

とくに同性の男の中ではそういう空気感ってあるんじゃないかなと思っていて。

男子大学生的テンションと言うか、下ネタいいながらバカみたいなことができないと青春じゃないぜ的な。

お前リア充じゃないな的な。

そういう軽いノリに入れないとなんとなく「自分をさらけ出せないダサい奴」みたいな空気になるとき。

そういう感じってあると思うんですよね。

 

素直に受け入れられる下ネタと押し付けがましい下ネタ

私も別に下ネタの全てがキライと言うわけではないんです。

下ネタの仲にも素直に笑ってしまうような楽しい下ネタもあります。

一方で押し付けがましいめんどくさいことこの上ない下ネタというのもあるんですよね。

この押し付けがましい下ネタについて私は嫌いだと言っているわけなんですね。

ではこの2つに一体どういう違いがあるのかをせっかくなので考えてみました。

素直に受け入れられる下ネタ

色々と考えてみた結果、私が思う楽しい下ネタというのは「言葉遊び的下ネタ」と「エピソード的下ネタ」の2つなのだと判明しました。

簡単にそれぞれの特徴を解説します。

言葉遊び的下ネタ

「言葉遊び的下ネタ」は言うなれば、「上手いこと言いやがってw」的な下ネタと言ったところでしょうか。

言葉じりを上手に捉えた言葉遊び的な、言い回し自体にウケてしまう下ネタなんですよね。

そういうつもりじゃなかったのに急にそういう意味にしか聞こえなくなる、みたいな面白さがあるのではないかと。

こういうのはかなりスマートな笑いだなあと思います。

エピソード的下ネタ

もうひとつの「エピソード的下ネタ」というのは、単純にエピソードトーク的に話される下ネタです。

エピソード自体を楽しめますし、通常の会話の内容が変わっただけなので素直に受け入れられます。

こういうのって普段しない話だからこそ笑ってしまいますよね。

あとエピソードは過去のもので自分の中で清算していないと話せないので、エピソードとして話している時点で清算できているというのも受け入れやすいポイントの一つです。

押し付けがましい下ネタ

しかし一方で嫌いな下ネタというのはなんというか押し付けがましい。

下ネタ言ってんだから笑えよ、的な空気感があるんですよね。

下ネタ=おもしろい、という謎の図式がその人のなかでは出来上がっていて、体を張って下ネタを言って盛り上げているおれ!みたいな感じがあるんです。

同じことをしてくるように強要してくることもありますよね。

脱ぐとかそういうの。

男のコミュニティ内での下ネタの重要性

色んな下ネタがあるにしろ、男のコミュニティの中では下ネタを言えるというのは非常に効果的なコミュニケーションテクニックです。

海外で活躍するプロスポーツ選手もチームに溶け込む際には下ネタが有効だとよく話しているのを聞きます。

例えばサッカーの長友選手は現地の言葉で真っ先に覚える言葉は下ネタだ、といったような趣旨のことをどこかで話されていた記憶があります。

どのチームに行ってもすぐに溶け込んでいる長友選手の陰にはそんな取り組みもあったというわけです。

まあつまりそれくらい男のコミュニティの中で下ネタというのはコミュニケーションツールとして有用なんです。

下ネタを言い合うことでなんとなく仲間感を感じたり、共通のものに面白さを感じることでの団結感を抱くことができるわけです。

 

有用さを曲解することなかれ

下ネタはコミュニケーションツールとして有用だということは基本的に正しいと思います。

しかしそれをどこかで曲解して「下ネタが言えないとリア充じゃない」といったように感じることもあるんでしょう。

ひいては男として下ネタの一つでもいえない、とといったようなノリにつながるわけです。

下ネタを言えない(言わない)ようなキャラクターが軽く見られる節もなんとなくあるのはこういう背景なのかと。

下ネタを言うことでしか自分を出せないやつはむしろダサい

下ネタを言えるとなんとなく自分の恥ずかしいこともさらけ出せているような感じがして、男のコミュニティの中では認められやすいと思います。

そういう潔さ的なものは男のコミュニティの中では好まれます。

しかしもしも下ネタでしか自分を出せないんだとしたら、それはむしろダサいようにも感じます。

コミュニケーションの中で自分のさらけ出し方は様々です。

それをもっと自由に認められるコミュニティの方が深くて豊かですよね。

 

そんなことを考える日曜の夜でした…

 

そんな感じ!