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【映画セッション感想】本気になるとは極端になることだ

今さら感満載だが、映画『セッション』(原題:Wiplash)を見た。

 

セッション(字幕版)

セッション(字幕版)

 

 

個人的にはかなりの衝撃作だったので、思ったことを書いてみる。 

 

※ネタバレはないつもりですが、心配な方はブラウザバック推奨

 

 

 

あらすじ

 

名門音楽学校へと入学し、世界に通用するジャズドラマーになろうと決意するニーマン(マイルズ・テラー)。そんな彼を待ち受けていたのは、鬼教師として名をはせるフレッチャー(J・K・シモンズ)だった。ひたすら罵声を浴びせ、完璧な演奏を引き出すためには暴力をも辞さない彼におののきながらも、その指導に必死に食らい付いていくニーマン。だが、フレッチャーのレッスンは次第に狂気じみたものへと変化していく。

movies.yahoo.co.jp

 

 

ニーマンは秀でたドラマーになることを夢見ていたが、最初は音楽学校のただの一生徒だった。

 

しかし鬼教師フレッチャーの指導でまさに「血のにじむ」思いをしながら次第に本気になっていく。

 

その過程を見て、この映画のすごさは「本気」という態度の描写にあると思った。

 

正直、鬼教師の指導方法はどうなんだろう、と思うし、

 

ニーマンのような狂気を感じるほどの練習を凡人がマネ出来るかというとたぶんできないし、ほとんどの人にとってはしない方が良いとも思う。

 

ただ、そういった点はとりあえず置いておいて、この映画は

 

本気になるとはどういう事か

 

を教えてくれる。

 

 

 

本気になったニーマンはとにかく極端だ。

 

とにかくひたすらにドラムの事を考え続ける。

 

ドラム以外の多くのものを切り捨て、

 

恋愛さえも切り捨てて、

 

思考も時間も自分が決めた事に対して最大限に注ぎ込む。

 

そんな彼を見てなお彼は本気じゃないなどといえる人はいないだろう。

 

 

 

本気になった人間にとって、平均点を取る事に意味はない。

 

一点集中、一点突破でいい。

 

周りの人から遅れたくないばっかりに

 

世間の流れからはみ出したくないばっかりに

 

自分の才能を分散させて、浪費することの方がよほど怖いのではないか。

 

ニーマンの本気を見ているとそんなことまで思わされる。

 

 

 

極端になることが良い事かはわからないが、

 

平均的でなければダメなんだ、とどこかで自分にブレーキをかける自分がいるのならば

 

もう少し極端になることを許可してもいいのかもしれない。