コーヒーでも飲みながらどうぞ
コミュニケーションの問題は多くの人を悩ませる。
かくいう私も悩んできたし、今でもしょっちゅう悩んでいる。
たぶんこの悩みが尽きることはないんだろう。
でも、今は昔よりは少しはつまらぬことで悩まなくなってきたと思っている。
つまり昔はすごくつまらないことで悩んでいたのだ。
そういう悩みって今から思えばそれは「テレビ的コミュニケーション」に追従していたからこそ生まれていた悩みも多かったなあと思う。
テレビ的コミュニケーション
テレビ番組、特にバラエティ番組には世間的に「面白い」人がたくさん出演している。
人気芸人とか人気タレントといわれる人気者が画面を埋め尽くして、コミュニケーションをとっている。
そのコミュニケーションの仕方はなかなかに特徴的だ。
- いじり・いじられ、みたいな役割が固定化している
- 常に大喜利のようなツッコミが飛び交う
- テンポよく次々と新しい会話が生まれる
大きな特徴はこの3点かなと思う。
これはテレビに特有のコミュニケーションのスタイルだと私は思う。
日常生活に持ち込まれてしまうわけ
しかし、いつの間にかこういうコミュニケーションのスタイルが一般化して日常生活のコミュニケーションシーンでもこういうスタイルが求められることが往々にしてあるようだ。
特に学生時代にはそういった振る舞いを求められることが多かった。
もちろんテレビ的コミュニケーションにも良い点はあるし、テレビはコンテンツを提供している媒体である以上、こういうスタイルが確立されていくのは当然だと思う。
番組内では見ている人に番組を変えさせないために常に面白いコミュニケーションを体験させないといけないし、時間が限られた中で多くの情報を伝えないといけないからテンポが重視される。
テレビ番組自体が結局は「CMを見せる」という目的のために放送されているから、そういうスタイルになるのはある種必然で、当然だ。
しかし、日常生活で同じことをする必要はまったくない。
そもそも会話の目的はテレビとは圧倒的に違う。
なのに、日常生活でテレビ的なコミュニケーションスタイルが持ち込まれてしまうのは、おそらく「他に面白いコミュニケーションを知らない」からだ。
最も面白いコミュニケーションがテレビ的なものだから、それに追従したコミュニケーションをしてしまうんだろう。
コミュニケーションの面白さには色んなスタイルがある
もしテレビ的コミュニケーションに馴染めなくてしんどい人がいたとしたら、全く気にしなくていいし自分が心地よいカタチのコミュニケーションを追求すればいいと思う。
世の中には色んなスタイルのコミュニケーションがあって、それぞれに全く違う面白さがあるからだ。
例えば生産的な会話が好きな人もいるだろう。
会話の中で「こういうことをしよう」というアイデアを出し、いかにそれを実行するか、みたいなことを話し合うのが最高に楽しい人もいるだろう。
例えば共感し合う会話が好きな人もいるだろう。
こういうことがあってこういうことを感じて、という日々の暮らしの中での感情を互いに共有しあって、そうそうわかるね、と言い合うのが心地いい人もいるだろう。
例えばじっくり話しながら価値観を知るのが好きな人もいるだろう。
テンポは良くなくても、じっくり考えをまとめながら話して、そんな考えがあるんだね、と驚きながらコミュニケーションするのが好きな人もいるだろう。
だからテレビ的なコミュニケーションに無理に馴染む必要はないし、共用される筋合いはない。
大人になるとそういう会話を求められることは少なく、むしろそんなスタイルをいつまでやってんだよ、と呆れられる。
だから追従する必要はない。
自分が好きなスタイルを見極めて、それをつらぬけばいい。