のさかんぱにー!

のさかんぱにー!

目の前の日常を少しでも良くするための情報を発信中!

本サイトにはプロモーションが含まれています

価値観にズレがある人と仕事をするとコミュニケーションコストが高すぎてしんどい、という話

何かを始めるときに誰かと一緒にやるのであれば、ある程度価値観的に共通する未来を見ている人とでないとコミュニケーションのコストが高すぎて、精神的にも労力的にもきつすぎる。と最近すごく思う。

 

私は仕事で外部の人と連携して何かを行うことが特にここ最近非常に多いのだけれど、こういう取り組みの方法は自分の持っているリソース以外の資源を活用できるし、新しい発想とか切り口を感じることができて面白い。

 

しかしココで気をつけなければならないのは、価値観がある程度以上共通していないとどれだけいい内容のことをしていても、しんどいということだ。

 

ここで言う価値観というのは結構色んな要素がある。

 

最終的に見ている未来、何を実現したいかという思い、仕事のやり方、人間関係の考え方、コミュニケーションの流儀、などなど。

 

感覚的な話も多いので、ずれがあると細かい部分であれ?と思っても、まあそんなものかと最初はスルーする。

 

しかしその細かな違和感が積み重なっていくと、次第に精神的にも労力的にもしんどくなってしまう。

 

そう、考え方のズレというのは労力的(実務的)にもしんどいものなのだ。

 

何か新しいことを始めようと考えたときに「スピード感」というのはすごく大事だ。

 

気持ち的にノッているときに一気に整えてリリースしてしまったほうがいいものができることが多い。

 

特に個人事業でやっている人とか、作品作りをしている人はわかるんじゃないかと思う。

 

発想というものにも鮮度が大事で、じっくり時間をかけて作ったからと言って良いものができるとは限らないのだ。

 

しかし価値観にずれがある人と何かをやろうとすると、その価値観を埋める作業に多くの労力が取られてしまう、ということになりがちだ。

 

信じていることが違うと、見ている世界が違うと、それだけで必要以上に多くのコミュニケーションをしなければならなくなる。

 

話し合えばわかる、話し合えば良いものができる、という人もいるが私はそういう考え方にかなり懐疑的だ。

 

分かり合えないものは分かり合えないし、たとえ分かり合えたとしてもそこまでに至るコミュニケーションのコストが大きすぎる。

 

美学としては有りだと思うが、実際に何かを成し遂げたいのであれば、そんなところに時間をかけるのは正直しんどすぎる。

 

そうなると一人でできる事業に専念したほうが、結果が出やすいし良いという話になってくる。

 

仲間と協力して事業を成し遂げる、というのは非常に美しいし素敵だと思うけど、互いの力を掛け合わせることでより大きなことができるから一緒にやるわけで、一緒にやることが先にあるのはまずいのかな、と思う。

 

この人は価値観が合う、と感じられるときに一緒に何かをやるべきなのだろう。

 

そう思うと、どんなことよりも「価値観が合う仲間の存在」というのは物凄い価値のあることで、そんな人と出会えるのはすごいことなのだと思う。

 

私ももっと力をつけて、結果を出して、そういう人と一緒に何かをできるようにならんとなあと思う日々だ。

 

簡単だけど、そんな感じ。