基本的には誰でも何らかのコミュニティに所属していると思う。
学校だったり会社だったりSNSだったり。
家族や親戚というのもひとつのコミュニティだし、友達の集まりなんてのもれっきとしたコミュニティだ。
人間は高度な社会性を獲得した動物だ、なんて言われるけどその通りで、社会はコミュニティからできていて、だから僕らはコミュニティから逃れられない。
コミュニティというのは安心感や楽しみをもたらしてくれる。
一方で同時に疎外感やしがらみみたいなものも産まれてくる。
何事もそうだがいい面もあれば悪い面もある。
バランスを保っていられれば良いのだが、僕らはときにバランスを崩してしまう。
悪い面が自分にずしっとのしかかってきて、どうしても苦しい時がある。
私も何度も何度もあったし、今でもバランスを保ったり崩したりしながら生きている。
いや、正直に言えばどちらかと言うと僕はバランスを崩しやすい方かもしれない。
大好きだったコミュニティでも違和感が募り募って苦しくなってしまう。
そしてその違和感を無視できるほど、人間ができてもいない。
バランスを崩しては、またコミュニティを求めて生きていく。
そんなことを繰り返してきたから、苦しくなる傾向みたいなものもわかってきた。
思うに僕らは「特定のコミュニティが自分にとって絶対のものになる」としんどくなる。
世の中には死ぬほどたくさんのコミュニティがあるのに、いま目の前にあるコミュニティが絶対の存在なのだ、という状況になると、まあ良くない。
何故良くないのかというと、もしもそのコミュニティがあなたにとって絶対的な存在になったら、そのコミュニティはあなたにとって完璧でなくてはならなくなるからだ。
本来は色んなコミュニティで補完しながら生きていくべきところを、すべてそのコミュニティに担ってほしくなってしまう。
それはお互いにとって不幸な道だ。
要は「期待しすぎ」なのだ。
これこそ私が追い求めてきた真のコミュニティなのだ…!
みたいなコミュニティはおそらく存在しない。
映画やドラマやアニメの世界にはそう見えるつながりがあるかもしれないが、それは少なくとも私には理想論で虚構に見える。
そしてひとつのコミュニティが絶対化するのはそもそもリスキーだ。
多様なコミュニティで補完されながら生きていくほうがレバレッジが効く。
どれかひとつが自分にとってしんどくなっても、他の場所で生き続けられる。
ナメた考えだと思う方もいるだろうが、その方はとても社会性が高い素晴らしい人なのだろう。
ひとつのコミュニティに執着することはない。
それが例え学校や会社や家族だとしても。
別に永遠に縁を切れ、といっているわけではない。
いろんなコミュニティに潜ってみればいいという話だ。
書きながら私もまだまだだなあと思ったけど。
暮らしは続くね。