6年近く現実を変えられずに悩んできたけれど、
一時はヒキコモリ状態になったりとかしたけど、
それでも変えられなかった現実が、
ここにきてなんとなく変わってきたなあと感じるこの頃なので、
一体なんで変わってきたのか、
一度自分なりに実体験を分析して解説してみようと思います。
苦しかった20代前半。どんなに苦しくても変われなかった理由。
20代の前半は、私にとって苦しい時期がとても長く、生きづらさを感じることが多かったように思います。
その原因は今から振り返ればはっきりと言えるのですが、
他人の期待とか周囲の目線を気にして狭い世界で生きていたからでした。
自分の意思で選んだつもりの道も、
ただ、あくまで自分が知っている範囲の世界の中で
「こっちのほうがなんとなく見栄えがよさそうだ」とか
「これを選んでおけば文句言われないだろう」みたいな計算で選んでいたのです。
自分の純粋な願望に従って決めたわけではなく、
少しづつ願望に不純物が混じった結果、それが生きづらさにつながっていたのです。
こうした不純物が厄介なのは、不純物自体がしんどい現実を変えないための理由になってしまうことでした。
不純物がすごく聞こえの良い正論っぽい言い訳になってしまうんです。
つまり不純物によって、現実を変えないことにメリットができてしまっていた…
結局人は変わらないほうが楽なんですね。
それがどんなに自分にとって苦しい現実でも。
毎日がしんどいけど変えるための行動を起こしてない時って、結局しんどい現実に何かしらのメリットを感じていたんだと思う。
— のっさん (@nosaka_muscle) 2017年7月2日
なんでそのメリットを手放したくないのか自分の中の感覚と向き合わないとと建設的な答えは出せない。
▶どんなに苦しくても現状を維持してしまっていた理由は、それでもそこにメリットを感じていたから
流れを断ち切れたのは「純粋さと出会えた」から
ではどうしてそんな「変われない泥沼」から抜け出せたのか。
それは、自分の純粋な気持ちを捨てていない人に出会えたから、でした。
世界は広いんです、僕たちが考えている何十倍も。
そこには、あくまで自分の純粋な気持ちに素直に従って生きている人がいるんです。
僕はそんな人たちに、タイと高知で出会いました。
純粋さに触れると、自分の不純さがちゃんと見えるようになるんです。
不純さに気づいていないときは、それを変えることはできない。
しかし一度気づくことができれば、ここが問題だったのか、と変えることができるようになります。
▶純粋な自分の感情に従って生きている人と出会うことで、自分の中にある不純物に気づくことができる。
▶気づくことができたら変えることができる。
青臭い悩みでいい。ないがしろにしないこと。
自分の感覚と向き合うことが大事なわけで。
自分の感覚と向き合うときは、明確に言葉にできなくても良くて「なんとなく違和感がある」とか「もやもやする」とか「何かを変えたい」みたいなふわっとしたもので良いんだと思う。
— のっさん (@nosaka_muscle) 2017年7月2日
それをちゃんと感じきって、ちゃんと受け止めてくれる人に話してみると、抜け出せるきっかけが見えたりする。
ふわっとした悩みは「青臭い」とか「若い」などと言って自称大人にバカにされたりとか「意識高い系」みたいにひとくくりにされたりするけど、人に伝えるようなちゃんとした言葉にするのは後からでも良くて、まずはその違和感を大切にしないとダメだ。「なんか違う気がするんですよ」で良いと思う。
— のっさん (@nosaka_muscle) 2017年7月2日
▶青臭い悩みをないがしろにせずに、その悩みに従って行動し続けた
▶明確に言葉にできなくてもいい。バカみたいな悩みでいい
そして最後にものを言うのは、飛び込む「勇気」
でも結局最後にものを言うのは、未知の環境に飛び込む勇気。
こればっかりは、もう勇気を出すしかない。
テクニックとかそういうものじゃなく。
泥沼から抜け出すきっかけになった出会いはどれも、
ビビりながら飛び込んだ先にあった。
だからもう、えいやっと飛び込むしかない。
好きな人に告白するときと同じで。
もうやるしかないのだ。
ココだけは理屈じゃない。
まとめ
以上、私が現実を変えることができた理由をセルフ解説してみました。
要は
▶現実を変えれないのは、しんどい現実にメリットを感じているから
▶純粋な感情に従って生きている人と出会うことで、ちんけなメリットを打ち破れる
▶バカにされようと青臭い悩みをないがしろにせず、それに従って行動し続けた
▶最後は勇気を出して飛び込むしかない
ってことですね。
そんなかんじ!