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しんどい過去があったから今があるんだ、なんて言われたくないし、言いたくもない。

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あのしんどさを乗り越えたから今がある、だから今大変な思いをしておけば、いつか頑張って良かったと思えるよ、というような言い回しに、違和感を覚えてしまう。
「大変だった」というコトと「今がある」というコトの間に明確な因果関係なんて別にないんじゃないだろうか。
それとこれとは別の話なのに、なんで一緒にするのか、はなはだ疑問に感じてしまう。
 
 

大変だと偉いのか

大変な思いをすることが、つまり仕事なんだ、オトナなんだ、偉いんだ、というような雰囲気を出す人がいる。
そしてそれを、しんどい何かを経験する→成長する→だから今の自分の立場になれた!、という「成長」をからめた論理で話をしてくる人がいる。
それを僕はすごく、ズルい、と感じる。
そしてなんというか、思慮が足りないな、と思う。
だってそんな言い方をしたら、まるで、しんどい道を通るしかないみたいじゃないか。
楽しむな、と言われているようではないか。
楽しんでやっているのは、間違っているような気がしてくるではないか。
仕事終わりに飲んで愚痴の一つや二つこぼさないといけないような感じがするではないか。
 
 

仕事ができる人

大変じゃないと仕事じゃないと思っている人は、なんとなく仕事ができない感じがする。
そもそも苦しいとかしんどいというのは効率の悪い状態なので、そんな状態が続いていること自体、仕事ができないと自ら言いふらしているようなものだ。
そしてその現状に気づいていないのもセンスがない気がする。
確かに大変なことを乗り越えた経験は単純にすばらしいとは思う。
そこで負けずに頑張り通せる意志の強さは、称賛に値する。
でもそれを、苦しさを通過しなければ大人になれないんだ!、というような言い方をするのは違うと思う。
 
 

真剣だから楽しい

彼らが言いたいのは「真剣に仕事をしろ」ということなのかもしれないが、
楽しんでやる=真剣じゃない、という思考回路自体、発想が貧困すぎる。
むしろ真剣にやらないとたいていのものは楽しくないのだ。
真剣にやるからこそ楽しくなるし、のめりこめるのだ。
それなのに、いつかよかったと思えるはずだから、苦しくても頑張れなんて、どうして言えるのだろう。
 
 

許さねーぞ

あんな大変な思いをしたのだから今の自分があるんだ、という言葉はつまり、だからお前も今は大変な思いをしとけ!ということなんだと思う。
今楽しもうなんて許さねーぞ、なんだと思う。
目の前で楽しそうに仕事をしている人がいると、自分の大変だったあの日々を否定されたように感じるから、自分の苦しみは何だったのかとむなしくなるから。
だから目の前のこいつにも苦しんでもらわないと困るんだ。
カンタンに楽しまれては困るんだ。
要はそういうことなんだと思う。
 
 

あなたとわたし

だから、しんどい過去があったから今があるんだ、なんて言われたくはない。
あなたの背景と私の背景は全然違うから。
そして私自身、しんどいあの時があったから今の私がいるんだよ、なんてしたり顔で誰かに言ったりしたくはない。
別にそれは私の事情であって、目の前のその人にはその人の乗り越え方・楽しみ方があるのだから。
 
 
こんなことを言っているからいつまでも子供っぽいんだと馬鹿にされるのかもしれないが、こういう考え方が子供だというのなら仕方ない。
おれは考え方が若々しいんだよ、って笑ってやるしかないんだろうな。
 
今日は静かな雨。