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院進学予定者よ、「勉強好き」という理由で大学院に行くべきではない

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本記事は、後期から大学院を辞める予定の筆者が(→結局休学しました)、

今後大学院への進学を予定している方に向けて注意すべきだなーと思ったことを伝えるための記事です。

院進学を辞めることを推奨する記事ではなく、大学院に進む上での適性を理解した上で進学して欲しいという主旨で書いています。

 

大学院進学のミスマッチが少しでも減ることを願って。

 

 

大学院は勉強好きの集まり?

大学院と聞けば、さぞかし勉強好きな人が集まっているんだろう、と思っている方は多いだろう。

それは半分正解で半分不正解。

 

大学院では勉強することは当然必要だ。

あるテーマに関して専門家になろうというのだから、その道でこれまで積み重ねられてきた先行研究から最新情報まで学ぶ必要はある。

そういう意味では勉強好きでないとやっていけない。

だから大学院に勉強好きが集まっている、というのは正解。

 

しかし、それは果たして大学院の特別な条件なのか、考えてみて欲しい。

勉強することなんて、そんなの大学院じゃなくてもする必要があるのは同じことで。

会社員や自営業だって、ある意味その道の専門家になるのだから、みんな勉強している。

結果を出している人はどんな世界だろうが勉強好きだ。

 

だから大学院だから特別に勉強好きが集まっているなんてわけじゃない。

 

むしろ大学院という特殊な環境では「勉強」とは全く違うベクトルの能力こそが重要になる。

なんせ私の指導教官なんてその道での世界的な専門家にも関わらず「勉強は嫌いだ」と明言しているのだから。

 

では、大学院へ進む人の適性とは何なのか。

それは第一に「研究が好きである」ということだ。

 

 

 

「勉強」と「研究」、違いをわかっていますか?

それまでの学校社会の中で結果を出してきた人は、大学での勉強が多少面白いと進路として院への進学がパッと思い浮かんでしまいがちだが、

あくまで自分は「勉強」が好きだった場合もある事を理解しておくべきだ。

 

正直「勉強」と「研究」は全く別物だ。

 

アカデミックな研究というのは通常の社会からみればかなり異質だったりする。

これらがどう違うのか簡単に定義するならば

  • 「勉強」は「知的好奇心を満たすこと」
  • 「研究」は「論理のガチンコファイト」

とでも言えようか。

この違いを理解していないと大学院に進学したことを後悔する事態になり兼ねない。

 

「研究する」ということ、それはどういうことなのか

アカデミックに研究するということは

それまでの研究で明らかにされていないことを、第三者による検証可能な根拠をもって再現可能なカタチで論理的に示すこと

が求められる。

 

ここで研究が特殊なのは

  • 第三者によって検証が可能な形で証明されなければならないこと
  • それを論理的に記述しなければならないこと

を徹底的に求められる点だ。

 

感覚的な表現はどんなに正しかろうがは一切認められない。

感情に訴える文章や表現はむしろ邪魔。

再現性をもって示せないものはデータではない。

 

いかに自分の論理が正しいかをデータを駆使して先人や同業研究者とガチンコファイトする論理バトルだ。

 

勉強が好き、というのは「知らないことを知るのが楽しい」「文章を読んだり書いたりするのが好き」くらいのものであったりする。

研究が好きな人は根本的に「論理のバトル」が好きなことが多い。

書くにしても徹底的に緻密さを追求する。

 

そういうものだと知らずになんとなく、勉強好きだし大学院行くか、だと苦しくなる可能性は高い。

 

自分が思う「勉強が好き」は突き詰めると何が好きなのか、一度深掘りしてみるべきだ。

 

 

大学院という環境の特殊性を知ろう!「研究室の文化」

 

さらにここでもう一点、人によっては上記より重要となりえる注意点をあげたい。

それは「個々の研究室には文化がある」ということだ。

 

大学院では自ずと研究室というものに入る。

この研究室というものはハッキリ言って個人によって当たりハズレがある。

言い方を変えれば、相性というものが大きく影響してくる。

友人同士で相性があるように、学生と研究室には相性がある。

なぜなら研究室は教授の性格が強烈に反映されるからだ。

 

研究室生活の充実度、という観点から見れば

正直、研究内容なんかよりもこの教授との相性が研究室生活を決めると言っても過言ではない。

 

例えるなら研究室というのは、◯◯教授という社長のワンマン経営ベンチャー企業、だ。

だから、社長について行きます!みたいな気持ちがある程度無いと辛いと思う。

これはそれまでの学校社会とは大きく違う点だ。

 

例え誰か一人の先生と馬が合わなくても、他に理解してくれる先生がいれば救われた、とか、そもそも先生との相性が修了に大きく影響しない、というそれまでの高校や大学でのパターンとはかなり違う。

 ここは入念にチェックが必要だ。

 

 

重要なのは、研究室とのマッチング

上で述べたような環境の特殊性から見て、研究室に入るというのは、学生の延長というよりは一種の就職と割り切って考えたほうが確かな気がする。

 

企業への就職ではマッチングをまあまあ慎重に検討するのに、研究室は検討項目としてほぼ研究内容しか考えない。

この現象は不思議でならない。

 

研究室をなんとなく決めるのは、結構危険な賭けだ。

これで失敗した人がどれほどいるか、考えたくも無い。

研究室と学生のマッチングサービスとかあればいいのに。

 

が、現状、研究室のマッチングサービスなんてないので、個人的にオススメする検討項目を上げておきたいと思う。

 

  1. 教授の性格との相性(第一印象だけでなく普段の指導の様子。あと生き方に対する価値観←想像以上に重要)
  2. 指導方針(放置ぎみなのか細かく口出しするのか、コアタイムがあるか、など)
  3. 研究室の雰囲気(他の学生の様子)
  4. 設備

 

このあたりが相当重要になってくると思う。

また、教授だけで仕切っている研究室でなく、准教授・助教授もいてそれぞれで研究を担うような大きい研究室だと、

教授以外の教官が指導してくれたりして相性が合わないリスクを分散できたりもする。

そうした指導体勢もきっちり確認しておこう。

 

 

そして何より大事なことは。

上記に様々な注意点をあげてきたが、結局重要なのは

自分がどんな性格でどんなことに熱中でき、どんな人と相性がよいのか、というような

「自分を知る

という作業だ。

 

自分を知らずに、自分にとってより良い環境を選ぶことはできない。

 

進学するか就職するか、はたまた独立するか、色んな可能性を検討しながら、自分を知ろうということを常に意識して

例え間違った!と思っても、これでひとつ自分に合わない環境を知れた、と考えて

環境をどんどん変えていけばいいのでは、と私は思う。

辞めるのは逃げじゃないし、逃げだとしても逃げてもいい。

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たかが進学と甘く見ずに「己を知り」適性がある環境を選べる方が増えることを願っています。

 

 

 

 

ちなみに、大学院を中退したら果たして自分はどうなるのか、自分の市場価値を知っておくと学歴だけじゃない自分の価値を見返すことができます。

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また、どんな生き方が良いのか、迷っている、という人は、いろんな生き方をしている人の本を読むのがオススメです。

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