日本に限ったものなのか、限らないものなのか知らないが、
人生というものにはいわゆる「正規ルート」とされる類のものが
間違いなく存在している。
普通の人ならこう歩むよね、
こういう道を歩めば大抵有利に生きていけるよ、
みたいなルート。
あるよね。
手順はカンタン!
《普通の人生の作り方》
①高校を卒業します。この際受験勉強だけは頑張ります。なお勉強する意味は考えなくても良い
②少しでも偏差値の高い大学に入学します。大学の4年間はモラトリアムなのでリア充しましょう。ただし就活だけは頑張ります。なお働く意味は考えなくても良い
③留年も休学もせずにストレートで卒業します。空白期間を作らないことだけを考えましょう。
④できる限り名の知れた大きくて安定した企業に入ります。
⑤そこで定年まで働きます。転職はできるだけしないこと。
⑥老後は自由だよ!やったね!
普通の人生、がある程度共通のものとして社会的に認識されていることで、
例えばとにかくやり過ごせれば良いとか、自分で生き方を創り上げるほどではないかな、という人にとっては
生き方の素晴らしい道標となる。
社会というものが存在し、そこになんらかのシステムが成立する以上、
「多くの人が生き抜きやすい方法」が導き出されて
汎用性の高い方法として広まることは当然だと思う。
それは悪ではなく、むしろ多くの人に役に立っている。
しかし一方でこうした「普通の人生」が
足枷になる人もいる。
そういうタイプの人にとって「普通の人生」は呪いだ。
多数派にとっては当然の道がどうしても進めないとなれば
多数派は「どうして進まないんだ」と思うし、
違う道を進もうとすれば「なんでだよ、やめとけよ」と言うだろう。
学校でも普通の人生を歩んできた先生達にとってはそれが一番幸せな道だから
これが一番幸せなんだよ、ここから外れないほうが良いよ、外れたら(私は知らないけど)何か怖いことがあるらしいよ
と口々に言う。
そうなるとある程度強い人は多少無理してでもルートに忠実に進む。
そのように進むことができる。
しかしどこかで道を外れた(外れざるをえなかった)人は疎外感・劣等感を抱くようになる。
(別に感じる必要はないのに、そう感じさせる空気感がある)
もしかしたら野生生物の世界ではそういう大多数とは異なる個体は排除して
集団の生き残りを最大化すれば良いのかもしれない。
しかし幸いにしてここは人間の世界だ。
外れた人にも生きる術はある。
そして往々にしてそういうレールからドロップアウトした人が、社会の変革を起こすこともある。
どうしても辛いとき、ドロップアウトがふつーに選択肢の一つになる社会であればいいなと思う。
ふつーにひとつの道として見られる社会ならばいいな、と思う。
道を外れるとき、人の思考はぐるぐる回り出す。
自分はどこでなら生き抜けるか、
どんな戦略を取るべきなのか、
今やっていることは本当に意味があるのか、
意味があるとしてどれくらい重要なのか、
何が一番大事なのか、
、、、。
そういう意味では生き抜く力をつけるためには
道を外れる経験の中でもがくのは、重要なトレーニングになる。