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自己啓発の落とし穴?「考え方潔癖症」になると苦しい。

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例えばブログでも本でもテレビでも

 

なんでもいいんだけど、

 

人生をどうにかして良くしたいと思って

 

「偉い人」の言葉から学んでいる人って

 

わりといると思う。

 

ビジネス本とか自己啓発書が売れてるんだから

 

どうにかしようと学んでる人は

 

一定数いるはずだ。

 

 

 

で、おれもその口で

 

人生が変わる考え方、みたいのを

 

探し求め、学んできた。

 

たしか高校2年生くらいのときから

 

そういうものに触れていたので

 

7年くらいはそういうものを

 

勉強しているんだと思う。

 

 

 

自己啓発、みたいなものに否定的な人もいるし、

 

おれは過去に、おれの部屋に来た女の子に

 

自己啓発書を見つけられて、

 

こういうのって気持ち悪い、

 

って面と向かって言われたりしたこともある。

 

まあ可愛くなかったし

 

くそぼけが、と思ってスルーしたけど。

 

 

 

おれは自己啓発とかって

 

別にそんなに悪くないと思うんだよね。

 

というか事実おれ自身そういったものに

 

救われてきた面が多いし、

 

そういうのを学んできてよかったなあって

 

ガチで思っている。

 

 

 

でもそういうのを否定する気持ちも

 

わからないではない気もするんだよね。

 

つまり、

 

考え方を学ぶことで

 

「考え方潔癖症」みたいになる可能性があって、

 

その状態になると

 

端から見たらなんか気持ち悪いし、

 

自分自身も精神的になんだか息苦しくて

 

狭い部分しか見えなくなるんだよね。

 

で、自己啓発とか学ぶ人って

 

真面目な人が多いから

 

「考え方潔癖症」みたくなってる人って

 

結構多いと思う。

 

 

 

汚れを徹底的に排除することが

 

美しさに繋がるとは限らない、

 

ということなわけでさ。

 

例えば魅力的な人って

 

ちょっとワルい感じだったり、

 

いたずらとか意地悪とかを

 

うまく使える人だったりするわけじゃん。

 

チャラかったり、だるそうにしてるやつだったりするじゃん。

 

誠実で真面目で実直、

 

というのもいいけど、

 

案外、人はそういう人には惹かれなくて。

 

そうじゃない人が持つ魅力って

 

かなり強いんだよね。

 

要はそういうことだと思うんだ。

 

 

 

「考え方潔癖症」になると

 

正しいとする考え方以外を認められなくて

 

排除しようとして、

 

自分が全て正しいということを

 

証明しようとしだす。

 

するとどんどん自分の世界に閉じこもって

 

結局人生が良くならない、

 

ということが起こる。

 

なんでそんなこと分かるかって

 

おれが経験したからでさ。

 

学べば学ぶほど苦しくなって

 

誰もかれもが敵に見えて

 

おれには理解者がいない

 

って不幸ぶったりするんだよね。

 

そりゃそうだろ、って

 

笑っちゃうような話だけど

 

ほんとにそうだった。

 

 

 

だから学びをリアルにちゃんと生かす

 

ということを意識しないといけないと思うんだ。

 

結局学ぶことで

 

「精神的に自由」になるのが

 

本当の学びだと思うわけ。

 

現実が変わっていないんだったら

 

それは学んでるとは言わない。

 

弱い自分を自己正当化しているだけ。

 

むしろ弱さの証明にしかならない。

 

 

 

学んでいて苦しくなったら

 

その学び方で自分は

 

より「精神的な自由」に近づいているか。

 

現実はより良くなっているか。

 

そんなことを確認したい。