やりたいことをやろう、っていう言葉は諸刃の剣だなって思う。
この言葉の、ほんとの意味、というか、示している内容そのもの、は
すごく大事だなっておれも思うんだけど、
一方ですごく言い訳のモトにもなりやすい言葉でもある気がするんだ。
やりたいことをやっていこうとすると、
その過程で出会うものごとは必ずしも、楽しいものだけ、ではないわけじゃん。
やりたいことをやっていく、という話を聞くとどうも
ワクワク!とか楽しい!とか興奮!、みたいな感覚を連想しちゃって
(というか連想させるような空気感があって)
やりたいことやってればいつもそういう気分で過ごせるような気がしちゃうんだけど、
考えてみれば、そんなはずがあるわけなくって。
何かをやっていけば当然それら以外のいろんな感情も経験することになる。
緊張したり、不安になったり、怖くなったり、辞めてしまいたくなったり。
恥をかいたり、しんどくなったり、めんどくさくなったり、無力さに打ちひしがれたり。
そういうものってやりたいことやってるからって避けられることなんじゃなくって、
どんな道に進もうが避けては通れないものなんだと思うんだよね。
「おれはやりたいことをやるんだ!」って意気込んでる時って、
やたらとポジティブな感情の方ばかりに気を取られ過ぎちゃって、
ネガティヴな感情にぶつかった時に、「こんなはずじゃなかった」って
必要以上にがっかりしちゃうんだよね。おれの経験上。
それはきっと、やりたいことをやろう、っていう言葉のイメージがポジティブすぎるからであって。
ネガティヴな感情を抱くはずがない、っていう謎の思い込みを抱いちゃってるからだと思うんだ。
やりたいことをやっている=楽しいことばっかり
っていう図式を成立させちゃうと、
これは結構こわい。
だってそれってつまり、
楽しくないことがあった→これはやりたいことじゃないのかも
っていう思考になってしまうってことだから。
ほんとはやりたいことをちゃんとやってるのに、
ちょっとつまづいた時に
なんで楽しくないの?おかしいじゃん、そうかほんとは好きじゃないんだ、もっと自分に合ってることが世の中にはあるはずなんだよね、よしやりたいこと探ししよ、
ってなって結局辞めてしまう、
なんていう悲劇が起こってしまうわけだ。
こわすぎ。
例えば、未知のことをやるときとかってさ、どう考えても、怖いわけじゃん。
不安に感じるし、めちゃめちゃびびるし、
手順とかを知らないからこその面倒くささみたいのもあるわけじゃん。
そんなときに
なんか楽しくないし、これってやりたいことじゃなかったのかも
って勘違いすることって、実際、結構起きてると思う。
そういう「ただの不安」と「本当はやりたくない感」を勘違いすると
一向に前に進めなくなる。
やりたくないことをやっているから感じるネガティヴな感情、というのも実際あるとは思う。
「やりたくないが故のネガティヴ」は確かに存在するだろう。
でもそれと「ただのネガティヴ」を混同すると、いつまで経っても、やりたいこと探しが終わらない。
やりたいことをやってたとしても、「ただのネガティヴ」に惑わされ続けることになる。
過程で生じたただのネガティヴは、やってることそのものとちゃんと切り離してあげるのが大事なんだと思う。
晩ご飯のコンビニ弁当食いながら、そんなことを思う夜。