日常の中の“ちょっとした未練”について話したい。
例えば、なんとなく放置してる洗濯物とか
例えば、気になっているけど手を付けていないレポートとか
例えば、いつかやろうと思っているメールの返信とか
すぐに重大ではないんだけどどこかで気になってしまうような、
休憩しているときにふと思い出して、こころがチクリとするような、
そんな“ちょっとした未練”ってあると思う。
やってみればすぐに終わるってわかっちゃいるのに
ついつい後回しにしてしまう。
後回しにしたところで、その時その場では別に何も起きない。
だから時間のある時でいいや、って未来の自分にお任せする。
記憶の中にちょっとした未練を残していく。
おれは割とそういうことをしがちな人間だ。
そういう未練はひとつやふたつ、あったところで何の問題もない。
でも一つ一つの未練は、残すたびに自分のこころを「ちょっとした未練一つ分」重くしていく。
それが3つ4つ…と積み重なると、全体としていつのまにかこころがずんと重くなっている。
特別なにかがあったわけでもないのに、なんだかこころが重い、
と感じるときはこの“ちょっとした未練”が積み重なっていることが結構ある。
それぞれの未練は小さくとも、それらはいくつも重なることで着実にこころを重くする。
しかも「ちょっとした」ものだから
おれの問題がそんな小さいもんなわけねえだろ
って見向きもしなかったりする。
部屋を掃除する、とか、資料を整理する、とか、こまめにゴミを捨てる、とか
そういう習慣はこの“ちょっとした未練”を残さない為の工夫なのかもしれない。
なぜだかこころが重いとき、日常の“ちょっとした未練”を考えてみても
いいかもしれない。