のさかんぱにー!

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自分には何も無いなら、この身ひとつでどこまでいけるか試せるってことかもしれない。

この話は何度も書いているのだが、


おれの伝えたい話はやっぱりこの辺りなんだろうなと思うから、


何度でも書いちゃえ、と思って書いてしまうことにする。




おれはずっと自分には何もないという感覚を強く感じて生きてきた。


経歴的にもハタから見ればそれなりにうまく人生を歩んできたように見えるんだろうけど


その実、心の中はずっとぐらぐらしていた。


どんなにそれっぽい経歴を積み上げたところで、


自分が現実世界で勝負できるようなものを何か手に入れることができたのか、


誰かに価値を提供できるような技術を身につけることができたのか、


そんな疑問をずっと自分に対してぶつけていた。


こんなんじゃどんなに勉強してても意味ねーじゃねーか、って自分に言い続けてきた。


そんで、その度に自分には活躍している人のような明確な実績も強力な武器もない、と感じて自分をダメなやつ扱いしてきた。


誰よりも自分自身が自分をダメなやつだとして自分に接していたのだ。




でも偉い人が言っていた。


物事は全て両面だ、と。


裏があれば表がある。


夜があれば朝はくる。


裏だったコインもふとしたきっかけで表になる。


この考え方はすごく好きだし、大事なんじゃないかと思う。




本当に自分には何ひとつ、語れるようなもの、誇れるようなもの、武器になるようなものが、ないのだとしても、


本当になかったとしても、そこにはもう一方の、別の一面があるはずなんじゃないだろうか。




最近おれは思うのだ、


もし本当に自分には何もないのなら、


それは何も持たざる者が、その身ひとつでどこまでいけるか試せるってことなんじゃないかと。


恵まれたものばかりを与えられていなくとも、勝負ができるということを示すという面白そうな試みに挑戦できる、ということなんじゃないかと。


なんか面白そうじゃね、それ。


おれ下剋上のストーリーとか大好きなんだよね。


それでさ、もしそれができたらさ、その試みは、


同じように何も持たない人の悩みに一石を投じることができるのではないかなーと思うわけだ。


一面黒で染まった思考のその一部でも、オセロがひっくり返るように、くるんとひっくり返して違う色にすることができるのではないか。


そんなことを思うのだ。


それは「持っている人」にはできないことで、「空虚を抱えてきた人」にしかできないことなはずだ。


それできたらいいなー、絶対楽しいなー!




これって綺麗事だろうか、調子がいいこと言ってるだろうか。


実際、綺麗事っぽいことを言ってるかもしれない。


自信を持ちきれていないところも実はある。


でも少なくともそうであればいいなあと思って生きていくことは、自分の中の元気の足しにでもなるかな、とかとりあえずは思っている。


そうやっていい面を見つけていく習慣は何にせよ大事なんじゃないだろーか。