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なりたい職業がない事に劣等感を抱かなくていいと思うんだけど。

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将来何になりたいんですか?

学生の人には結構わかっていただけるんじゃないかと思うのだが、

学生という人種は色々な人から「将来何になりたいんですか?」と聞かれるものであるらしい。

おれのように24歳にもなってまだ学生をやっていると特に、だ。

そういうことを聞く人が求めている回答はだいたい、

公務員だとかデザイナーだとか記者だとかプログラマーだとか

そういう具体的でイメージしやすい職業だ。

 

しかしそういう質問をわざわざおれにしてくれる方には申し訳ないのだが、

おれには具体的になりたい職業がない。

聞かれるたびに「ほんと何になるんすかねえw」と濁してしまう。

それというのもおれは「何になりたいか」と「職業」を結び付けられるほど、職業に対する思い入れが深くないからだ。

なんとなくこんな人間になりたいかなあ、というようなものはあっても、

職業としてなりたいものはこれだ、というものはない。

だからなりたい職業をすらすら答えられる学生を見るたびにすごいなあと感心する。

皮肉とかじゃなく自分にない明確さをもっているからほんとにすごいと思う。

それと同時に何もない自分が少しいやになる。

そんなだから将来何になりたいの?と聞かれるのは実はあまり得意じゃない。

 

こんなことを書いたうえで次のようなことを言うとすごく言い訳っぽいのだが、

個人的には、「何になりたいか」の答えが必ず職業になるものだという前提が

当たり前のように幅を利かせているのがちょっと納得いかない気持ちがある。

何になりたいか、という超個人的な質問が、ハイパーパーソナリティなクエスチョンが

職業という大雑把な括りにどうして落ち着くのだろうか、と思ってしまうのだ。

(もちろんおれはそんなことを言う前にもっと社会を知らないといけないのだが。)

別にすごい人になりたいとかでもいいんじゃないだろうか。

まあ言ったところで、わけわかんないやつ扱いされるだろうし、

これだとあまりにも何も考えてなさそうだけれども。

 

なりたいもの

おれはなんていうか、

削ったり整えたりすることで何かを生み出せる人間になりたいなあと思う。

自分で自分を適切に整えながら、不必要なものを削ぎ落としながら、生きていけるようなものでありたい。

その中で見えたものを周りにも還元していけたらいいなあと思う。

最近見たある人の文章の中に「自分の生き方を整えていく」という言葉が

あったんだけど、そういうのってすごくいいなあ、と思う。

あえていうならそういうものになりたい。曖昧すぎるけど。

 

逆に言うと指の間からすり抜けてしまうような生き方はしたくない。

それはたぶん、今までどんなに学んだってどんなにいろんなことを考えたって

全部すり抜けて、この手のひらには残ってくれなかったような感覚があるからだろう。

 

これまでの経験は全て意味のあるものだった、という人もいるが、

そんな風に思える日がいつの日か果たして来るのか、自分にはわからない。

すり抜け続けてここまできたな、よくここまでこれたものだ、と自分で思う。

 

何を積み上げてこれただろう。

何を残してこれただろう。

そんなことを考えると不安になる。

 

それでもこうやって生きてきたし、きっと何かの職には就くのだろう。

なんの職に就くにせよ思い描くような人でありたいな、と思う。

 

なりたいものって実際は細かく見ていけば本当に個人個人で微妙で様々で

なんかその人の世界観とかを反映するような個人的なものだと思う。

だから突き詰めていけば本当に個別の独自のものになるんだろう。

それを職業として当てはまるものが見つからないからって

なりたいもののないやつだ、なんて言わなくていいと思う。

 

なりたいものがない人

なりたいものがない人は「なりたいもの」がないんじゃなくて

なりたい「職業」がないだけなんじゃないだろうか。

きっとなりたいと思える自分像みたいなものはなんとなくでも持っていると思う。

それも十分に、なりたいものだとおれは思うのだが…。

例えその自分像にぴったりくる職業がまだ見つかってなくてもいいんじゃないか。

その自分像さえちゃんと抱えておけば、間違えちゃいないと思うし、この先もきっと間違えない。