触れれば切れて血が滲むような、そんなリアルさを歌う彼らが好きで堪らない。
「コンテンポラリーな生活」というバンドについて書きたい。
変わったバンド名で、まずコンテンポラリーってなんだよ、ってなる。
コンテンポラリーというのは簡単に言えば、今日的な、現代的な、というような意味なのだとか。
ふむ。
「ヘドが出る前に」というアルバムがある。
その中に「品川メモリーズ」という一曲がある。
才能なんかは特にない
暗いエピソードもない
ひねくれてみても意味はない
幸せさ
狂ったふりすら出来やしない
演出もあんまりない
悲しい話に色がない
薄いもんだ
この手のひらはからっぽだと気づく時、
自分には、才能やスキルや武器がないだけでなく、
暗さやひねくれ、悲しみや狂気すら無いことに気づく。
はみださないように、はみださないようにと生きてきた。
その結果は、ゼロ、だ。
プラスにもマイナスにも振り切れることはない。
非情なまでのゼロ。
例えマイナスだとしても
マイナスがありさえすればそこにマイナスをかけることでプラスにもなろう。
でもゼロなんだ。
ゼロだけはどうしようもない。
おれがおれである意義を消し去るような、失望。
前も後ろも分からぬ、苦悩。
どっちにも行けないおれはどうすりゃいい?
響く音楽は答えをくれない。
それでもどうしようもないその思いを言葉に並べられることで、救われることがある。
むしろ答えなんてない方が、あったとしてもそっとしまっておいてくれた方が、ほんとな気がする。
鋭利なリアルでズタズタになった時
手当しようとか、励まそうとか、
そんなのはうざい。
同情も励ましも、クソの役にも立たねえ時があるんだよ。
ただただ一緒に歌ってくれ。