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絶望できるからこそ人生を進めることができる。

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こんにちは、のっさん(@nosaka_muscle)です。

 

長い間下書きに眠っていた文章を見つけ、今の自分にとって大事なことだなあと感じたので、

 

ちょっと書き直して、投稿してみますね。

 

テーマは「絶望」ですよ。よよよ。

 

 

万能とは、何もできないこと

 

例えば、大学に入学したころ。

 

一浪を経て受験戦争を切り抜けたおれは、

 

先に広がる4年間を前にして

 

自分に可能性はいくらでもあって、何にでもなれるんじゃないのか

 

と思っていた。

 

なんというか

 

目の前には様々な選択肢が広がっていて

 

そのどれを選んだっていいんだ、

 

どの選択をしたとしても努力すればうまくいくんだ、

 

というような感覚を持っていた。

 

 

 

もちろん、じゃあプロ野球選手にだっておれはなれる!やっふー!

 

なんて痛い勘違いをしていたわけではない。

 

でも、平凡などこにでもいるような大学生ではなくて

 

なにかしらで飛びぬけた特別な存在にはなれるだろうと考えていた。

 

大学生になったら自然に恋人ができる、という言い伝えを信じる青少年よろしく

 

なんとなくそんなことを信じていた。

 

万能なんだからなんだってできるんだ、と思っていた。

 

しかし実際に4年間が終わった時に鏡に写っていた自分は

 

何を隠そう何の変哲もないただの大学生だった。

 

万能とは、何でもできることを意味するのではなく、

 

結局何も突き詰められないこと、自分を定義できないことを意味しているのだった。

 

 

 

残酷なまでの普通のすごさ

 

逆に言えば、ふつうということは、すべてをきちんとこなすことのできる万能感に基づいているのだ。

 

ふつうの人生を歩むということは、万能になる、ということなのだ。

 

その時におれははじめて「普通」の残酷なまでの力強さを知った。

 

いわゆる普通の人生をちゃんと生きていくことが

 

ただそれだけでどれだけすごいことなのか。

 

そのことを痛感せざるを得なかった。

 

 

 

バリバリキャリアな道を邁進するかっこよさからは程遠いおれだけど

 

それはある種の絶望なんだけど、

 

その絶望というのは重要な気がしていて。

 

ぼくらは可能性に絶望できるからこそ

 

自分が自分として頑張れる道が見えてくるんじゃないだろうか、と思うのだ。

 

全部の可能性に目を奪われて右往左往するんじゃなく

 

絶望する事で自分の武器が見えてくるんじゃないか。

 

そんなことを考えるのだ。

 

 

 

 

 

そういう意味ではちゃんと絶望できることが大事なんだと思う。

 

絶望するからこそ、進める未来もあるのだと思う。

 

もちろん絶望なんてしなくていいなら、そんなに幸せなことはない。

 

でも、ああもう絶望した、とつぶやいて嘆くそのときに、

 

これでまた人生が明確になった、と感じることができれば

 

そんな絶望にだって、意味はある。

 

 

 

絶望するほどの挑戦なんてしていなかった

 

何も成せなかった大学時代、そもそもおれは、絶望するほどの挑戦なんて、ちっともしていなかった。

 

もちろん、当時の自分なりには挑戦していたのだけど、

 

それは日々の「おまけ」みたいなもので。

 

絶望するほど肚を決めていなかった。

 

 

 

だからこそ思うのだ。

 

単なる絶望を、前に進むための絶望にできるかどうか、なんだと。

 

万能感を捨て、絶望できるかどうか。

 

そこにかかっているんじゃないかと。

 

そういうものが言い方を変えれば「キャリア」とか「進路」というものなんじゃないかと思うのです。

 

 

 

進んでいきましょう。