クリエイティブはワクワクから生まれるぜ!いえーい!クリエイティブfoooo!みたいな感じってあるけど、じつは違うんじゃね?と思うこのごろ。
そもそも、ぼくらはクリエイティブが評価されないシステムで生きてきた。
最近は、クリエイティブ人材、なんて言葉があるほど、何かを創り出せる人が求められているようで。
でもぼくら日本人は人生で「己のクリエイティブ」が評価されるような環境なんて経験したことがないんですよね。
むしろクリエイティブさが評価されないシステムの中で生きてきたわけで。
ぶっちゃけ、義務教育でクリエイティブなんて発揮しようものなら、袋叩きにあいます。
何でしゃばってんだよ、てなもんですよ。
今でも時々思い出すのは、数学の授業で(あれ、算数だったかな?)どうしても納得いかない計算があって、先生に反抗していたら「授業を遅らせる迷惑なやつ」扱いされたこと。
教科書以外のやり方はとにかく邪魔でしかないわけです。
今となっては、授業の進度を気にしないといけない先生の大人の都合もわかりますが、こんな環境で、クリエイティブが云々なんて、とても望めないと思います。
なのに、流行りの言葉を簡単に流用して、今や「クリエイティブ人材!」の大合唱ですよ。
いやまずてめえらがクリエイティブになれよ!
クリエイティブ人材ってワードがもうクリエイティブじゃねーんだよ!
ってかんじですよ。
たまったもんじゃないですね。まじで。
ほんとクリエイティブだかネイティブだかしらないけど、急に「なれ!」なんて言われてもなあ、と正直シラけてしまいます。
てゆうか、クリエイティブじゃない人なんていないでしょ。
結局、クリエイティブという言葉が何を指しているのか、曖昧すぎるんですよね。
ネットからクリエイティブ人材を語っているページを探して、その定義を拝借してみたら、こんな感じのようです。ご参考までに。
『企画・デザイン・パフォーマンス等を通じ
て新たな価値創造をする人材』
なるほど!なんてクリエイティブな定義なんでしょう!つまんなすぎて焦る!え、これは逆に焦らせることで、平凡の中にあるクリエイティブの種を見つけさせよう!みたいなやつですか?さすがクリエイティブ!foooo!
とまあ愚痴っても仕方がないですが。
なんか釈然としませんよね。
しかもクリエイティブ人材の例として
: 新商品開発デザイナー, 経営企画プランナー, マルチメディア・プロデューサー, クリエイティブ・ ディレクター, 作家, アーティスト, 映画ディレク ター, アスリート 等
が挙がってるんですよ?
ほんとにそうか?感がすごい。
なんかそういう肩書き的なことじゃなって!
聞きたいのはそういうんじゃなくってよ!
そもそも、誰もがきっとクリエイティブさみたいなものを抱えていると思うんですよね。
誰かと全く同じ人なんてのはいない訳でして。
だから、自分のことをどんなにつまんないと思っている人でも、他人との掛け合わせだったり、切り口次第で、いわゆるクリエイティブになり得ると思うんですよ。
どうにも「クリエイティブ人材」という言葉で、ややこしくしているようにしか思えない…
無理にイイ感じに見せようとしすぎじゃないですかね。
クリエイティブの起源は、決して爽やかではない感情。
何かを生み出す過程って、死ぬほど単調だし、短期的には非生産的な作業の極み、だと思うんです。
作家さんなんて、一日中机の前でうーんと唸って終わり、という日もザラにあるはずだと思うんです。
その一日だけ見たら、生産的なんて、とても言えない。
その一日だけしか考えないならば、何一つ生み出していない訳で、普通、絶対にどこかで我に返ってしまう。
あれ、おれなにしてんねん、と。
それを継続できるというのは、とても爽やかではいられない、ぐちゃぐちゃした感情とか、出さずにはいられない叫びみたいなものがあるからなんだと思うんです。
伝えずにはいられない何か。
だからこそ何かを作れるのかな、と。
そして「暇」こそが、クリエイティブを育てる。
そんな爽やかではない感情を形にするためには、何より「暇」が重要なんです。
余白がないと、何も描けないので。
個人的にはこんな流れを描くものなんだと思っています。
暇になる
↓
消費的な遊びを一通りする
↓
つまらなくなる
↓
自分で面白いものを作ろう
↓
実際に作る
↓
楽しい!
日常がつまらなくなるからこそ、創り出そうと思えるんですよね。
一生消費し続けていてそれで楽しいならたぶん人間は創造なんてしないんだと思います。
というわけで
クリエイティブになるぞ!なんて肩肘張らずに、自分が本当に楽しいのはどこなのか、見極めるのが、結局クリエイティブに近づくんじゃないかな、と思います。現場からは以上です。