先日、仕事の関係でアジアの大学から学生を迎えて約一週間の短期特別講座を運営した。
タイやインドネシア、マレーシアなどの学生が参加し、国内からも複数の大学から学生が参加してくれた。
その中で色んな学生と話していたのだが、ふと話題に上がったアジアの大学のリアルに震撼した。
今回はそんな話を。
アジアの優秀な大学生の勉強量はえげつない
日本の大学生は勉強しない、といわれて久しい。
少なくとも私が大学に入学した当初(約7年前)には「日本の大学生は他国の学生に比べて勉強しないから…」的なことは言われていたと思う。
なんとなくそうなのかなあと思いつつ実際のところどうなのかを知るすべもなく26歳になってしまった。
しかしここにきて真実らしきものの片りんは垣間見ることができた。
とあるタイの学生の一例
私のつたない英語でおこなったコミュニケーションゆえ、多少のミスはご容赦いただきたいのだが、タイから来た学生いわく、彼女の大学では一つの授業が3時間あり一日のほとんどを授業かその対策のための勉強に費やしているのだとか。
空きコマのようなものもほとんどないらしい。
それゆえアルバイトをするなんて考えられず、サークル活動的なものもほとんど行っていないのだという。
もちろん仲の良い友人と遊ぶことはあっても、基本は生活の中心には勉強があるのだそうだ。
当然だが授業中に寝るなんてありえないし、長期休暇もあまりない。
2月の後半は日本の大学生にとっては春季休暇期間だが、彼ら彼女らは今回のプログラムにもわざわざ2週間授業を休んで来ていたのだという。
戻ったら2週間の遅れを取り戻すべくハードな日々が待っている。
さらに言うと、単位を取得するための条件も非常に厳しく、成績は絶対評価ではなく相対評価で付けられるのだそうだ。
つまり、テストの成績の上位〇%が「A」、順に一定の割合ごとに「B+」「B」「C+」「C」と成績がつけられ、どんなに点数が良くても下位〇%に入ると自動的に落第なのだという。
これにはホントか!?と思い、何度も確認したがやはりそういう成績の付け方のようだ。
最もいいランクの評価を受けるためには100点満点中97点とかを取らなければいけないらしく、70点台でも落第することがあるのだとか。
彼女いわく、もちろんこれほどの点数が求められるのは彼女の専攻がエンジニア関係だからであり、精密さを要求されるからなんだというが、それにしても恐ろしいまでの学習環境だ。
他国の学生もこのような状況と似たような状況のようで、日本の大学生はどうしてあんなに授業が少ないのに卒業できるのか?と一様に疑問を抱いていた。
ちなみに彼女の大学はタイでもNo.1と言われる大学で、外からの評価も非常に高い。
他の参加者も国内随一のレベルの大学からの参加者で、そのレベルの高さを肌で感じさせられた。
徹底的に競争主義の学習環境
もちろん日本の大学にも勉強熱心な学生は当然いる。
しかし日本の大学と彼ら彼女らが所属するような大学には決定的な違いがある。
それは彼女らアジアの大学生の「徹底的なまでの競争主義」だ。
彼ら彼女らの凄みを生み出しているのは「競争主義の中で勝ち残っている」という自負なのだろう。
実際に彼女らは「日々競争だ」というようなことを口にしていた。
そこに悲壮感のようなものはなく当然の事実として淡々と話していたのが印象的だった。
まさに国全体が成長の真っただ中にある状況では競争の中で勝ち残っていくのは当たり前すぎることで、そこに大変だとかそういう発想はあまりないのだろう。
競争アレルギーと言っても良い日本の大学
逆に言えば日本の大学は不思議なほど競争というものを排除している。
むしろ「仲間づくり」や「協働」のようなことがことさらに強調される。
試験も行われるが競争とは程遠くむしろみんなで乗り越えることが前提とされているような気さえする。
それはかつての受験戦争のような過度の競争への反省からなのだろう。
その反動で教育の現場は「競争アレルギー」になっているのかもしれない。
競争というものをどう取り扱えばいいのか誰もわからなくなっているのだ。
一方で発想力や行動力で大きな差があるわけでもない
ここまで読むとまるで日本の大学教育が他国よりも劣っているかのように見えたかもしれないが、そういうことを言いたいわけではない。
当然だがアジアの大学のような競争主義にも弱点はあるし、日本の大学のような協調的な教育にも長所はある。
実際に今回のプログラム中、日本の大学生とアジアの大学生を比べて発想力や行動力で大きな差を感じることは少なかった。
確かにディスカッション慣れしているのはアジアの大学生たちだったし、英語力でもアジアの大学生に分があったけれど、アイデアやそのアイデアを形にするための行動力では日本の大学生も全然負けていなかった。
ただ、アジアの大学生たちはなんとなく「自負」みたいなものがあるのは感じた。
エリート意識的なものの一種と言ってもだろうか。
それは彼か彼女らに特有のものなのか、はたまた経済成長中のお国柄なのか、それはわからないが。
そういう差を除けば、特別日本の大学生はダメだ、という結論はどうやっても導けない。
日本の大学は他国に比べダメだ論はやはりなにか違和感を抱かざるを得ない。
そもそも大学というモノの意義
今回のプログラムは主催こそは大学であったものの、そこで提供されるプログラムは大学とは何も関係のないところで行われた。
大学教育というものから自由になって現場に実際に関わりながら行われるプログラムは学校という枠組みでは提供しづらい体験なんだろうと思う。
そんなことを感じるたびに大学というモノの意義はなんなのだろうと感じてしまう。
果たして年間何十万、何百万をかけるだけの価値を提供できているんだろうか…と。
アジアの大学の学費が果たしてどれくらいなのか知らないが、少なくとも日本の大学の授業料はあり得ないレベルで高額だよなあと。
まさに既得権益としか言いようがないよね…
そうなるとますます大学というモノに行く意義とは…とか考えてしまいます。
まとまりがないけど、そんなことを考えたのでした。
そんな感じ!