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上手くいかないときはとことん上手くいかないものだから絶望も落胆もしない

上手くいかないときというのはどうしてこう、うまくいかないことが続くのだろう。

やることなすことタイミングを見計らったかのように一斉に歯車がかみ合わなくなる。

ああ神様も馬鹿なものだ。

もう少し不運を小出しに人間に与えれば、人間はいまよりも多少は色んなことをうまくやるだろうに。

まあそもそも神様が人間を好きかどうかなんて知らないが。

 

とりあえず、生きていれば上手くいかないタイミングというのがやってくる。

それは自分ではどうしようもいかないこともあるし、何らか対処の仕方があったとしてもその時の自分にはできないなんてこともある。

そんなことは起きてしまうんだ、残念ながら。

だからそんな時があることを前提に生きたほうがいい。

上手くいかないときはそのうちくるんだということを、頭の片隅とかにぷらぷら引っ掛けておいたほうが良い。

 

昔の自分は少しでもうまくいかないことがあると、もう駄目だと勝手に落ち込んで失望してやる気をなくしていた。

仕事でも勉強でも人間関係でも割と落ち込みやすい性分なのだと思う。

ちょっとしたことでくよくよさせたら天下一品だった。

他人の一言一句を全てしっかりと真に受けて、そしてしっかりと傷ついていた。

しかし、こう何度もうまくいかないことを経験して何やってんだよ自分と思うことを長年繰り返すような日々を過ごしていると、次第に落ち込むのも馬鹿らしくなってくる。

あ、またそれね、と受け流すくらいにはなるというものだ。

別にこれは心が強くなったとか、精神を鍛えたとか、性分が変わったわけではない。

ただの慣れなんだと思う。

ああそのパターンきたのね、というのをやっと学習したんだろう。

まあ悠長なことだがそれがホントのところだ。

 

でもそうやって慣れることで生きやすくなるということは結構あると思う。

大人になると生きるってのは大変なんだ、という情報を子供のころよく見たり聞いたりしていたけど、意外と子供のころの方がそういう意味では大変だったと思う。

あらゆる失敗に慣れていないからどの規模のことが起きると絶望なんだという加減を知らず絶望のインフレーションだった。

まさに出血大サービスで血をだらだら流していたわけだ。

一応この年になったら法律上も社会慣習的にも一応大人なわけだが、自称大人になるにつれてこの程度のショックは頻繁に起こる、ということがわかってくるわけで、そうなると少しは生きやすいのかな、という気がする。

まああくまで気がしているだけかもしれないけど。

だからとりあえず今は勝手に、大人になると生きるのは楽になるんだよーという感じを無責任に垂れ流せたらいいなあと思っている。

大人は大変だ、なんて言うのはつまらないし、それこそ大人のエゴだ

 

まあとりあえずめんどうなことはわざわざ言うまでもなく何をしていても日々起こる。

生きるということは多分に運を含んでいるし、人間は気まぐれだ。

そういうことを理解して、より淡々と生きれるようになればいいなあと思うこのごろ。

そんな感じ!