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願望の代替が本当の願望を曇らせる。

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なんだか今日は言葉が出てこない、という感覚があって。


どんな言葉を捻り出しても何だか違う、しっくりこない、自分の言葉じゃない、という感覚が消えなかった。


昨日までそんなことなかったのに、


一体なんでだろう、なんでなんだろう、と朝から考えていた。


で、その結果たどり着いたのは、


「不安が代替され安心感を抱いたから表現する必要性を失った」


という結論だった。




表現の源泉は、切実さだ。


人がわざわざ時間もエネルギーも費やして、それでも表現したいと願うのは


切実な、外に出さずにはいられない感情があるからだ。


少なくともおれはそうだ。




そういう切実さは一時的に緩和されることがある。


何らかの手段で「願望が代替」されることがあるのだ。




例えば、毎日何となくつまんない、という感覚を抱いていたとする。


そして、その根本的な原因は、自分が本当にやりたいこと・情熱を抱けるものが分からないから、というものだったとする。


エネルギーが有り余っているのに、どうやって発散していいのか分からない、という状態だ。


だから自分を持て余している感じがして、何となくつまんない感じがする。


そんなときに、身の回りには沢山の娯楽を見つけることができる。


スマホをいじれば、ネットサーフィンもSNSもゲームも何でもできる。


そういうもので一時的に「何となくつまんない感」を誤魔化して、


感情を代替することが出来る。


そうすると「つまんない感」は薄まったように感じる。


でも本質的に願望を達成したわけではないので、またもやもやする。




これと同じことが自分の切実さの中で起こっていたな、と振り返ってみて思った。


おれの場合、なんとかして自分の力で生き抜く方法を見つけたい、自分を確立して生きていきたい、という思いが強い。


ドロップアウトの先でどうやって生きていくのか、という問いを解決したい。


そのために取り組んでいる一つの活動がここのところ動き出していて、


そのことに若干の安心感を感じていたのだと思う。


それが切実さの減退につながっていた。


動き出した安心感が自分なりの生き方を確立するという願望を代替してしまっていたのだ。





一つ下の次元の願望によって、より上位の願望が代替されることで


本当の願望が曇ることがある。


今のその行動は自分のどんな願望から来ているのか。


そんなことを確かめながら、表現を続けていきたい。