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厳しさは、厳しくしてでも何かを達成したい情熱から生まれる。ダメ人間だから厳しくできないんじゃない。

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自分に厳しい、ストイックである、そういう人はかっこいい。


アスリートでもアーティストでもビジネスマンでも受験生でも


甘えを許さず妥協せず、努力を重ねる様は


美しさすら感じさせる。


本気で尊敬するし、魅力的だ。




厳しい努力を重ねて何かを達成するストーリーに人は惹かれる。


そういう話は語り継がれ、ストイックに取り組むことは素晴らしいことだと教えられ


僕らは厳しさの素晴らしさを脳にインプットする。


厳しさが尊いことであるのは間違いない。


そこには人に真似できない強さが滲む。


しかしこの厳しさというものは、履き違えると苦しみしか生まないものにもなる。




おれはずっと、


自分に厳しくできないやつはダメな人間なんだ、


と思っていた。


厳しくできないやつは自分に甘い軟弱野郎なんだ、


と信じていた。


勉強でも部活でも仕事でも、時には趣味でさえも、


ストイックさを持てないのは、全て自分の甘えだ、と思っていた。


そして厳しくなれない自分にどこか欠陥のようなものを感じていたりした。




しかし、本当にそうだろうか。


人間には本質的にストイックになれる人となれない人がいるんだろうか。


そしてストイックになれない人は人間として劣っているのだろうか。




大学受験生の時、ストイックに取り組まなきゃ、じぶんに厳しくならなきゃ、と常に自分を締め上げていた。


そうすると一時的には頑張ることができても、どこかでぽきりと精神が折れ、急に勉強ができなくなる時期が来たりした。


そうやって


一瞬全力→息切れ→一瞬全力→息切れ→…


を繰り返していた。


それはすごく効率が悪くて、息切れするたびに


自分は甘くて軟弱なダメ野郎だ


と自分を責めていた。


結局そんなに成績を上げることもできず、第一志望に受かることは出来なかった。




一方で部活で全国大会を目指していたころは、


誰かから厳しくなれ、なんて言われたわけでもなく


自ら嬉々として厳しい練習をこなしていた。


顧問から止めてくれと言われても朝練をやったし、


大晦日も元旦も練習していた。


その様はどこからどう見てもストイックだったと思う。




同じ人間でもこうも違うわけだ。


本質的にストイックになれない人間とかなれる人間がいるわけではない。


ただそこにあるのは「情熱」の違いだけだ。


何かを達成したいと本気で思うからこそ、


厳しく「したい」と思うのだ。


厳しくしなきゃとか、甘えちゃダメだ、とかそんな発想ではなく


結果を出したいから自然と厳しくしてしまうのだ。


ダメ人間だからとか優秀だからとかそんな理由じゃない。




厳しくなれない、ストイックになれないことで自分を責める必要は、ない。


情熱を持てるものを見つけたとき、


人間は自然とストイックになりたいと思うものだから。


逆に言えば、厳しくなれないものはほんとは情熱を持てないものなのかもしれない。


そのときの精神状態にも影響されるだろうが。




ストイックさは情熱の裏返し。


そういう意味で厳しさを持てることは幸せなことなのかもしれない。