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「え、お前がそんなことするの?」と言われるようになって、おれは生きる楽しさを知った。

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生きてるのに生きてる気がしない。


そういう日々をいつから受け入れてしまっていたんだろう。


しなきゃいけないことが増えて、


いつも何かに焦っていて、


理由もないのに不安で、


死にたくはないけど消えたくなる、


そんな感覚が当たり前になったのはいつだっただろう。




中学生くらいにはそんなことを思っていた気がする。


大好きだった生き物の勉強は、学校の理科の授業になった瞬間、つまんなくなった。


良い子だったおれは、なんとなくそれを親に言ってはいけないような気がして


理科の勉強すごく面白いよ


と覚えたての愛想笑いで言っていた。


それでも勉強は得意だったから試験はいつも高得点。


親からすれば本当に勉強が好きなように写っていたんだろう。


一方テストで良い点を取ればクラスメイトにガリ勉と馬鹿にされ


なんちゃってヤンキーにも気に入らないといびられ


頑張れば頑張るほど馬鹿を見るんだ、と本気で思ってた。


真面目な良い子、それが大抵の人間のおれに対する評価だった。




死にたくないけど消えたくなるのは、


おれの中のおれの叫びだったのだろう。


他人から貼られたラベルで抑えつけられた自分が


なんとか気づかせようともがいていたんだろう。


ほんとは勉強ばかりしたいわけじゃなかった。


友達と馬鹿みたいなことしたり、


アホなお笑い番組を見たり、


意味もなく遠出したり、


恋愛にどっぷり浸かったり、


そんなことをしてみたかった。




そんなおれが、生きるのって案外面白いな、と思い始めたのは


「え、お前がそんなことすんの!?」


と言われるようなことをし始めてからだった。


「意外だね」


と言われるようになってからだった。


夕暮れの琵琶湖で告白したり、


ビーチでBBQを主催してリア充してみたり、


急に農業したいと言って農家に住み込んだり、


公務員か大企業、という親を無視してベンチャーに就職したり、


音楽活動始めたり、


大学院を中退したり。




とはいえ、


他人から無頓着に押し付けられる「あなたはこういう人だよね」を破るのは簡単ではない。


「急にどーしたんだよw」


「そんな人だとは思わなかった」


「迷走してんの?w」


「突然きもい」


意識高い系かよw」


という有形無形の批難は


ボディーブローのように時間をかけて確実に効いてくる。




それでも結局生き方を変えるためには


「他人から貼られたレッテル」を剥がす作業が必要になる。


そのためには「お前がそんなことすんの!?」と言われることを、ひとつずつやるしかない。


一枚一枚レッテルを剥がすしかない。


正直レッテルを剥がすのは痛い。


でも思い切れば剥がすのは一瞬だ。


べりっと剥がしてしまえば、その瞬間は痛むけど


案外はがせるものだったりする。




剥がせば失望されることもある。


せっかく貼ってあげたのに、なんて悲しまれることもある。


でも自分の人生だ。


どうせ死ぬなら、生きる楽しさを味わいきって


おれは死にたい。


全員黙っておれの一挙手一投足に注目しとけ!