どんなに頑張っても自分のためにしかならないのがムカつく。
就活も修論も。
自分の利益なんてべつにそんなに追いかけたくない。
自分の利益のためだー、うおー、ってなんねーわ、そこまで。
もちろん我が身可愛さ、ってあるよ。
だけど、全部が全部、少なくともぱっと見渡した範囲がほとんど、自分の利益ですよーってな状況なんて、
あんまやる気でねーわ。
単純に楽しくない。しょーもない。
なんかそんな状況燃えないよね。
ジャンプ漫画だって、絶対誰かのために戦ってるから燃えるんでしょ。
べつに己の全てを誰かのために捧げる!なんてそんなことは微塵も思ってないんだけど。
でも自分ばかりってのは明らかに感覚として燃えない、楽しくない。
ってことはしかも、それって結局自分ためにもなってないってことで。
自分の利益のためにやってるのに、がんばりきれなくて結局自分ためになってないんだから。
なにその本末転倒。うける。って話だよ。
要は、自分の利益だけのための行動って、
行動の根本の動機が不安ベースでしかないわけで。
たとえ目標を達成したとしてもあくまで「ほっとする」だけじゃん。
「あーよかった、失敗しなかった、なんとかレールを踏み外さずに済んだ、セーフ」って無事を喜ぶだけ。
それだけ。
達成したときにそこで生まれる嬉しさは精神的な充実ではなくて、
「失敗しなかった」という嬉しさでしかない。
それってまじでわくわくしない。
まじでくそつまんねー。
じゃあ、そんなのより、誰かが微かでも一ミリでも感動してくれたり、心を動かしてくれた方が100000倍嬉しくね?
そんなような気がする。
違うかな。
最近すげーもやもやというか、苛々というか、うだうだというか、そんな感じだったんだけど、
自分の利益に時間とエネルギーのほとんどを投じている自分の現状がムカついていたんだと思う。
だからバイトの時間とかは誰かのためになってるリアルな手ごたえがあって、充実感があったんだと思う。
ここ最近うすうす感じていたものをちょっと言葉にできた気がする。
当然反論はいくらでもあると思う。
就活や修論にそういう部分を見出せないのはお前の甘さだろーが、って言う人もいるだろう。
就活は親への恩返しとか、研究は社会への貢献になる、っていう考え方もある。
わかってる。そして立派だ。
だけど、そーなんだけど、でも見出せねえもんは、見出せねえんだよね。
もしかしたら今後やっていく中で見出せたりもするかもしれない。
でも少なくとも今はわかんない。見えない。
自分の利益のためにやってるな、っていう感覚がある。
もちろん決して就活や研究を、無駄だ!って批判したいわけじゃなくて、
ただ言いたいことは
目標があるのに頑張れないのは、目標達成が「失敗しなかった安堵」にしかなってないからなんじゃねーの、そういう側面ってみんなあったりするんじゃねーの、
ってことなわけで。
同じような状況にある人にとっては、自分の精神の状態を、
そういう部分もあるかもなーって見直すことで、
明日が少しでもましになるかもしんねーかもな、
っていうそんな感じなんだ。
じっくり考えてから判断できればいいんだけど、
個人の事情がどうであろうと、それでも時計の針は進んでいくから、難しいわけで。
我が身が可愛いのも変わんないし、
未来が不安なのも変わんないし。
人生を一気に変えるほどの切実さもないってのが正直なところだったりする。
でも、失敗しなかった、という安堵のために感情を殺すのは悲しいかなと思ったりするのも事実で。
頑張れる自分も、頑張れない自分も、どっちも間違いではない。
きっと。