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ネガティブさすら肯定した奴には、かなわない気がするんだ。

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どんな世界にも

 

華やかでかっこいい人、というのは実際いてさ、

 

そして

 

そうでない自分も同じく現実としているわけで。

 

そういうことを自覚したとき、

 

へこんでも意味はないと分かっていながら

 

それでも結構へこんだりするんだよね。

 

うわー、かなわねえ、って。

 

 

 

そういう状況を冷静になってから振り返ってみると

 

なんでそんなにへこんだかって、

 

自分のネガティブさを否定しているから

 

だったりするんだよね。

 

こんな自分はダメだ、っていう否定。

 

華やかでかっこいいあいつは世界に認められていて

 

そうじゃない自分は認められない存在だ。

 

そんな風に

 

自分の持っているネガティブさを拒絶している。

 

そういうことがあったりする。

 

 

 

でも世界は華やかな人間で構成されているわけではなくて。

 

ぱっと目につくのはそういう人だったりするけど

 

むしろ、そうでない味を持った人がたくさんいる。

 

おれは味のある人って好きだ。

 

爽やかな正統派のカッコよさも好きだけど

 

カッコよさだっていろいろある。

 

じゃあ、そういう味みたいなものって、

 

なにから生まれるんだろう、と考えた時に思うのは

 

ネガティブさの肯定、からなんじゃないか

 

ということを思ったりする。

 

 

 

ネガティブさが気になるのは

 

それだけ人よりも突出した部分があるから。

 

その突出が、世間的にはマイナスに評価されやすいから

 

自分でもマイナスに評価しちゃったりするわけで。

 

それは活かし方次第で味になったりもするんだよね。

 

 

 

おれは何をやらせても普通なのがコンプレックスで。

 

勉強も並なら、趣味も並。容姿も並で、コミュ力も並。

 

それゆえ「おれには何もない」と感じて

 

すごくしんどい時期が長かった。

 

というか今でも苦しくなったりする。

 

でもそれが随分とマシになったのは、

 

同じように感じている人がいて、

 

そういう人を理解できて、

 

こうやって文章に表現できる、

 

という事が理解できたから。

 

普通である事、何もない事、それだって

 

活かし方次第で武器になり得ると感じたから。

 

今はまだ活かしきれてないかもしれないけど

 

活かせる希望みたいなものがぼんやりと、

 

ほんとになんとなくだけど見えてきたから。

 

 

 

自分を肯定できないって苦しんだりするけど、

 

人から肯定されるようなことしか肯定できないのなら

 

そりゃ自分を肯定することなんてできっこない

 

と最近は思う。

 

ネガティブさすら肯定出来るからこそ、

 

自分を肯定できるわけで、

 

そうやってネガティブさやコンプレックスすら

 

肯定したやつには他にはない味がでて

 

そういうやつこそ本当にかなわないな、

 

と感じさせられたりする。

 

 

 

三連休最終日。

 

休み明けへのエネルギーを補充しつつ、

 

今日の一日を少しでも良いものに。