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堕落する自分が嫌い?違うよ、君は堕ちるのが快感で好きなんだ。

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なんでダラけてしまうのか。

 

なんで時間を無駄にしてしまうのか。

 

ネットサーフィンにたらたらと時間を使って夜更かししてしまう、

 

締め切りをずるずると延ばして、

 

やるべきことを後回しにしてしまう、

 

そんなことをしてしまうのはなんでなのか。

 

 

 

ちゃんとしていない自分に嫌悪感を抱き、

 

存在をぐちゃぐちゃにしたくなるほど鬱陶しく思う。

 

そんなことをアホほど繰り返してきた。

 

こんなに堕落を嫌っているのに、

 

みっともない自分を忌み嫌っているのに、

 

どうしてその忌むべきものを体現してしまうのか。

 

そんな悩みをずっと抱えてきた。

 

 

 

同じような人は結構いるんじゃないだろうか。

 

堕落が大嫌いなのに辞められない。

 

嫌悪するのにやってしまう。

 

大人になるほどそんな人を見ることが増えてきたように思う。

 

おれがこの手のタイプだからそういう人のこと、すごく分かる気がするんだ。

 

堕落の沼みたいな状態。

 

抜け出せない堕落。

 

でもそういう状態がわかるからこそ、ここではっきり言わせてくれ。

 

あなたは堕落が嫌いなんじゃない。

 

むしろ堕落が好きなんだ。

 

堕落があなたにとっての快楽なんだ。

 

堕ちることで心のどこかで気持ち良くなってるんだ。

 

 

 

堕落することにはある種の快楽がある。

 

おれがそれに気づいたのは、為末大さんの著書『諦めない力〜勝てないのは努力が足りないからじゃない』の中の一節を読んだときだ。

 

 

諦める力 〈勝てないのは努力が足りないからじゃない〉

諦める力 〈勝てないのは努力が足りないからじゃない〉

 

 

 

そこには次のように書かれている。

 

締め切りを破ってズルズルと引き延ばすことは、ある種の快楽がある。決断を先延ばしにする心地よさは、誰しもが経験したことがあるのではないか。

 

さらりと書かれている一文なんだが、

 

それを読んだ時、合点がいった。

 

あれほど嫌悪していた堕落は、自分にとってはどこかしら快楽であって、ある種の癒しだったんだ、と。

 

 

 

そう、癒し、という表現が近いように思う。

 

自分ではどうしようも出来ない精神的な痛みを、ダメな自分を体現することで正当化する。

 

理想的でない自分を正当化するために理想的でない自分を体現する。

 

それが快感であり、癒しなんだ。

 

痛みを癒すためにダメな自分が必要だったんだ。

 

だから堕落を止められない。

 

その快楽から逃れられない。

 

 

 

じゃあ、どうすれば抜け出せるんだよっていう話になるんだけど、

 

正直、その答えはその人自身の状況によって様々だ。

 

例えば

 

自分の目指そうとしている理想像がそもそも間違っているのかもしれないし、

 

理想的でないといけない、と現在の自分を認められていないことが原因なのかもしれないし、

 

もっと根源的な痛みがあって、それを癒すのが必要なのかもしれない。

 

 

 

それはブログという媒体の限界であって、

 

個々の状況に完璧に則する事は出来ない。

 

でもまずは自分なりに

 

自分がどんな痛みを抱えているのか、そこを見直してみることが

 

一つの方法なんだろうと思う。