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不完全さからコミュニケーションは生まれる。だから不完全なまま出していい。

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今日は前からなんとなく気が向いたらやろうと思ってた、

 

ブログのデザインの変更をちまちまやっていた。

 

まあ無料でできる範囲内だし、デザインって言えるほどのもんでもないんだけど

 

とりあえず今までの記事とかヘッダーに画像を入れてみたり、ブログのトップを記事一覧にしてみたり、

 

その他こまごまこまごまと修正をして。

 

この作業は自分的にはかなり楽しくて時間を忘れるレベルだったんですが、

 

どうですかね、ちょっとは見やすくなったでしょうか。

 

 

 

で、そういう作業していると必然的に過去の記事の内容を自分で読み返したりとかしちゃうわけで、そうすると、

 

うわーなんてもんを書いてんだよ

 

って思うようなのがあったり、

 

最後いかにも息切れしました、

 

みたいな記事があったりして、なんとも言えない気分になった。

 

 

 

でさ、その残念感はおれが勝手に感じとけばいい話なんだけど、過去の記事を読んでいると、他にもいろいろ思う事があって。

 

なんというか読んでいるとその不完全さゆえに、

 

もっとこういう言い方があるじゃん、とか、こういう構成にした方がインパクトあるのに、とか思って、無性に何か言いたくなってくるのだ。

 

何か書きたくなってくるし、付け足したくなるし、今の自分の見解を表現したくなる。

 

これってだれか他の人の書いたものを読んでいるときにも出てくる感覚で、

 

すごく良い内容なのにここがもったいない、とか、こういう視点もあるんじゃないかな、とかそういうことを不遜にも感じる事があって、

 

そういう感覚を感じた後は無性に自分なりに表現したくなる。

 

でも逆にこういう感覚って、完璧だ!って思うような文章を読んだときにはあんまり出てこないんだよね。

 

すごいなあ、って圧倒されちゃって、それ以上言えることがない感じ。

 

 

 

そういうことを思ったら、完璧じゃないものを発信していくことって、悪い事だけでもないように思う。

 

なんとなく人様に見せるなら完璧なものを出さなきゃ、って思っちゃうけど、

 

いやもちろん完璧に出来るだけ近づけようとすることはある種礼儀でもあると思うけど、

 

でも完璧じゃなくたって、それを表現することでそこにツッコミとか指摘とか補足とかっていう形でコミュニケーションが生まれて、

 

結果世の中に少しでもマシなものが生まれるのなら、それはそれでいいのかもな、なんて思った。

 

 

 

だからもっと完璧じゃなくても言いたい事を誰かに投げてみれば良いんだと思う。

 

とにかく出してみる、たたき台になるつもりで発信してみる。

 

そういうスタンスがあってもいいんじゃないだろうか。

 

 

 

なによりもったいないのは自分の考えにフタをしてしまうことなんだろう。

 

というか、コミュニケーションはそもそも不完全さから生まれるのかもしれない。

 

不完全だからこそ、双方向のやり取りが成立するわけで、

 

相手のぐうの音もでない話をしたところで、そこですべては完結してしまう。

 

不完全だからこそ、存在が誰かの気づきになれるってこともあるのだろう。

 

 

 

てことで、おれももっともっとだしていけるといいな。