思うにさ、
世の中には欠乏感を煽る仕組みがたくさんある。
街を歩いてても、部屋でテレビやネットを見てても、
情報という情報は、おれたちの欠乏感を煽ってくる。
これがないとあなたはヤバイ、
こうならないと君はダメだ、
これを知らないとバカにされるよ。
そうやって、無いことを自覚させ、必要性を煽り、不安にさせる。
不安にさせておいて、「はい、そこで我が社のこの商品」、てな具合に代替案をズバリ示し、感動させ、何かを買わせる。
そんな「作られた必要性」でモノを買うことがいかに多いか。
そんなことを感じないだろうか。
なにか情報を浴びてなんとなく不安になるとき、おれはそういったものを感じることがあるよ。
じとっとした嫌な不安。
そういうものを感じる度にさ、
おれたちは本当は抱かなくてもいい不安をたくさん抱かされているのかもしれない、
そんなことを思うんだ。
あなたには足りないものがある、というメッセージをこれまでたくさん浴び続けてきたのかな、と思う。
特におれたち若い世代はそうなんじゃないだろうか。
だから草食系だとか、内向きだとか、そんなことを言われるのかもしれない。
だからいつだって自分探しをしているのかもしれない。
欠乏感を煽られれば、不安や恐怖の中で過ごすことになる。
そんなのは当然だろ。
そういう情報ばかりなら、不安や恐怖の中で、閉塞感を感じながらもがき続けるのは、当然だ。
だからさ、そうであるとするならば、
不安や恐怖に苛まれるのは一概にその人が弱いからとは言えないんじゃないかな。
むしろ周りの環境がそうさせてきた、という方が正しいのではないだろうか。
で、ここで言いたいのは「社会が悪いんだ、政治が悪いんだ、日本の社会のせいだ」ということではない。
犯人探しなんてしたくない。めんどくさい。なんかださい。
そんなことどうでもよくてさ、
結局大切なのは、おれたち自身の日々を良くすることじゃん。
少しでも充実して今日という1日を生きていくことじゃん。
だからその方法をおれは考えたい。
現に欠乏感を煽る情報は社会に出回っている。
たぶんすぐさまそれをなくすことはできない。
じゃあどうすればいいか。
まずはとにかく、上で書いたような構造を頭に置いておくことじゃないだろうか。
この情報はおれの欠乏感を煽っているぞ、と理解するだけで、不安感は正体不明のものではなくなる。
そうなれば対処のしようもある。
問題解決の方法論では、原因を知れば解決法はわかったも同然、というようなことを言われるようだ。
まずは原因を見つめる。
せめてこのブログでは、欠乏感を煽るのではなく、読む人が自分の持っているものを発見できるような情報を出していければな、と思う。