結果を目的にするのではなく、プロセスを楽しもう、とよく言われる。
おれ自身もそれはそうだなあ、って思う。
すごく思う。
例えば分かりやすいのは、子どもの頃楽しかったこと、なのかな。
おれは、それはもう虫とりが大好きで、暇さえあれば原っぱに出かけるような虫とり少年だった。
それは結果(捕まえた数、とか、虫の珍しさ、とか、時間当たりの収穫、とか)が出るのが楽しかったんじゃなくて、
虫を捕まえるという行為そのものがなんだか楽しくて、だから虫とりが好きだったんだよね。
もしも
「友達に尊敬されるために虫とり上手くならなきゃ」とか
「レアな虫を売ってお金ゲット」とか思ってたら
それはそれはつらかっただろう。
だからプロセスを楽しもう、という話には全面的に同意だ。
でも、大人になったらどうも結果を欲しくなってしまう。
これってなんでなんだろう。
なんで、子どもの頃は行動をすごく純粋に楽しめるのに、いつの間にか素直に楽しめなくなるんだろう。
なんだか寂しい。
人は、大人になることで、自分の寂しさを理解してしまう。
プロセスを楽しめないのは、寂しくて、誰かに認めて欲しくて、自分に自信がなくって、
プロセスを楽しむような余裕がなくなるから、なんじゃないだろうか。
結果を出そうと頑張っているくらいだ、
きっと取り組んでいることそのものは、そこまで嫌いじゃないんだろう。
それなのにプロセスを楽しめない。
それは、
結果しか見えないほど、心のどこかで切羽詰まっているんだと思う。
そして、余裕のなさが結果への執着という形で現れるのは、
どこかで
結果が出ない自分が認められない、という気持ちを抱えているんだと思う。
自分で自分を認められないから、誰かに認めて欲しくて、結果を求める。
つまり精神的に孤独なんだと思う。
プロセスを楽しめないほど、余裕がなくて、
結果に執着するほど、孤独。
そういう心の構造がある。
ただ「プロセスを楽しむのが大事だ」と言葉で理解したって、
なんで今まで楽しめなかったのかを振り返ることなしに、改善しようというのは
やっぱり難しいんだと思う。
はじめに心ありき。
何をするにしても、上手くいかないときには、精神的な在り方を見直すことを考えたい。