のさかんぱにー!

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どんなに馬鹿らしくたって自分にとって切実だからやるんだよ。ブログもそう。

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正直、こうやってブログを書いているとさ、

 

何のためにこんなことやってんだろ

 

って馬鹿らしくなる瞬間もあるんだよね。

 

日々の貴重な時間を使ってまで書く意味がどれくらいあんだよ

 

って、冷めた目でみちゃうときがあるんだよね。ふつーに。

 

別にそんなの特別な感覚じゃなくって

 

何かを表現しようって人は

 

みんな大なり小なりそんな感覚を抱えながらやってるんだと思うのさ。

 

(おれがどれほどの表現ができているかはさておき。)

 

 

 

そんな中でさ、色んなことを考えるわけじゃん。

 

おれは一体前に進んでいるのか、それともさがっているのか、

 

てかそもそも前ってどっちなのか、

 

仮に前に進んでいるとしてこの先に果たして何かあるのか、

 

何かあったとしてそれで満足できるのか。

 

そういう、なんというか、

 

感触のないものをかき分けて進んでいくような、

 

手探りで暗闇を進むような

 

そんなような苦しさにも似たあやふやさを覚えるわけなんだよ。

 

 

 

そんな意味もはっきり見いだせないあやふやな世界で、

 

もがいていくのはやっぱりしんどくて。

 

でももがいている自分もいるわけで、

 

そこには何か指針になるものがあるような気がしていて。

 

それは、おそらく

 

吐き出さずにはいられない

 

という自分にとって切実で、リアルに触れることのできる、

 

自身の身体的な感覚、なんだと思うんだよね。

 

 

 

極端な例を出せば、

 

ものすごくウケると分かっているネタを知っているとして、

 

でもそのネタに対して自分がそんなに思い入れがないのなら、

 

どんなにそれを出したところで、

 

自分としては世界も自分も結局あやふやなままなような気がするんだ。

 

そうじゃなくって

 

どうしたって吐き出さずにはいられない、というほどの

 

自分のこの身体に刻まれた感覚から生まれる何かを

 

吐き出していけたらな、出していかないとな、って思うんだ。

 

 

 

でさ、

 

おれにとっての身体に刻まれた吐き出さずにはいられない感覚

 

ってなんなのか、って考えてたんだけど、

 

最近思うのは、

 

なんで毎日を充実して生きる事ができないのか

 

という問い、なんだ。

 

ちょっとピンとこない表現だろうか。

 

 

 

おれはずっと日々を生きるのに精一杯で、

 

すごく生きるのが苦しかった。

 

特別に恵まれない環境で生きてきたわけではなく、

 

むしろかなり恵まれている環境で生きてきたとすら感じていて。

 

でも、じゃあ幸せに生きてきたか、と言えば、

 

そうではなかった、と感じてしまうんだ。

 

恵まれている、なのに生きるのがものすごく苦しかった。

 

毎日しんどくてイライラして絶望していた。

 

重苦しい閉塞感を感じながら過ごしてきた。

 

充実した毎日なんて、見えもしなかった。

 

だから、

 

どうして思い描く日々が送れないんだ、

 

って悩んできた。

 

なんでおれは充実した毎日を送れないんだ、

 

って悔しかった。

 

ずっと悔しくって、悲しくって、苦しかった。

 

 

 

 

だから身体に刻まれたその問いを、その問いへの視点を

 

どうしても吐き出したいんだと思う。

 

 

 

なんで文章なんて書いてんだ、って投げ出したくなったとき、

 

自分の身体に刻まれた切実な感覚を思い出したい。