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ぼんやりと生きることは、無感覚の人生を生きること

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ぼんやりとしていれば人を傷つける事は少ないから

 

そして自分も傷つくことが少ないから、

 

ぼんやり生きてきたんだろうなあ、おれは。

 

 

 

自分の意見をはっきり言える人が本当にうらやましくて、

 

でもそんな言い方しなくても、とどこかイラついていて。

 

優しい、という言葉に隠れて、

 

決めなきゃいけない事も曖昧にばかりしてきた。

 

ぼんやりした言い方をしていれば、自分の周りの不幸が最小化されるような気がしていた。

 

それは確かに、その瞬間のその場の不幸は最小化されたのかもしれないけど、

 

得られたかもしれない幸福の期待値も最小化していたんだろうと思う。

 

 

 

ぼんやりさせても結局幸福感は上昇しない。

 

何も起きないってことは幸せなことも起きにくいってことだ。

 

何も起きない事の恐ろしさをちゃんとわかっていなかった。

 

今でも何かを起こすのは怖い。

 

足がすくむし、頭が真っ白になる。

 

 

 

ぼんやりさせることが習慣になると

 

人生が本当に前に進んで行かない。

 

人生そのものがぼやけていく。

 

不幸も幸福も楽しさも苦しさも、全てがぼやけてしまう。

 

無感覚の人生になる。

 

そしていつしかその無感覚にも慣れる。

 

無感覚なことにすら無感覚になる。

 

そこから人生を変えるのは、容易ではない。

 

 

 

ぼんやりと生きていくのは、

 

楽しみも幸福も感じられない、

 

無感覚な人生を生きていくことなのかもしれない。