のさかんぱにー!

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大学時代コミュ障と罵られたおれが、その後一年でコミュ力高いねと言われるようになった理由

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こんにちは、声の大きい人がニガテな、のっさん(@nosaka_muscle)です。

 

大学生って、高校までと違って、自由度が高くなる分、自分からコミュニケーションをとっていかないと、なかなか友人関係が広がっていかなかったりします。

 

しかし最初の一歩につまづいたりすると、そこから逆転するのがなかなか難しかったり…。

 

そうやって大学のスタートダッシュにつまずいたのが、何を隠そう私です。

 

今回は私の経験から、コミュニケーションについて思うところを書いてみます。

 

読んで欲しい人

・自分はコミュ障だなあ、とがっかりしている人

・大学で友人つくりのスタートダッシュに失敗してしまった人

・これから大学にはいるけど、コミュ障な自分に心配している人

・昔のおれ

 

 

「お前ってコミュ障だよな」と笑われ、死にたくなった

おれはコミュ障だった。

大学4年間、いや、中高のころもそうだ。

他人とのコミュニケーションが苦痛だった。

 

しかし大学を卒業してからもうすぐ一年、最近では女の子から

「コミュ力高いね」

なんて言われることもしばしばある。

 

なんでこんなにも違う評価を得ているのか。

コミュ二ケーションについて思うところを書いてみる。

 

大学生の時、同じ学科のなんちゃってチャラ男に

「おまえってコミュ障だよなwww」 

と罵られた事がある。

 

今思えばそいつこそ大したコミュ力があったわけではないのだが

とにかく、嫌いだった男にそんなことを言われたのが

そして言い返す事も出来ずにへらへら笑ってた自分が

悔しくて悔しくて

本当に悔しくてたまらなくて、

どうしようもない自己嫌悪で死にたかった。

 

そんなことを言われるくらいだったからたぶん本当に

当時のおれはコミュニケーションがへたくそだったのだろう。

実際同じ学科の人間とは、学外で遊ぶ事はまずなかったし

話をしても大して盛り上がることはなかった。

小馬鹿にしてもへらへらしている面白くもない奴を

コミュ障だと馬鹿にするのは当然だったのかもしれない。

 

大学生らしくサークルにも入っていた。

音楽系の練習熱心なサークルで

規模が大きかったものだから、そこではたくさんの人に出会った。

ある程度仲良くなった人もいたし、飲み会とかにも何度も行った。

でもどこか表面的な付き合いでしかない気がしてしまっていた。

そんなだから最後まで続けることができず、

結局最後の演奏会を待たずに辞めてしまった。

 

そんな中でおれは自分の事をコミュ障だなあと感じ、

少しでも自分をマシな人間にしたくて

コミュニケーション的なことを手当たり次第必死に勉強した。

でもどれだけそんなことを学んでも、

結局学科のやつらともサークルの人たちとも

卒業までそれ以上仲良くなることはなかった。

 

コミュニケーションの苦痛が消えた些細なきっかけ

大学を卒業したおれは大学院に進学した。

前の大学はどうにも嫌だったから

遠く離れた他の大学の大学院を進学先に選んだ。

 

受験の時に初めて訪れたその地には

当然友達なんて一人もいない。

 

完全にゼロからのスタートだった。

 

新しい環境に多少胸をときめかせつつ、

普通にとりあえず色んな人に話しかけてみた。

 

別にかわったことはしていない。

コミュニケーションの方法を大きく変えたわけでもない。

というかそんな器用なことができるのなら

コミュ二ケーションで苦労したりなんかしていない笑

 

とにかく、いきなりぼっちはこえー、とか思って何人かに声をかけた。

するとすんなり仲良くなれた。

あれ、良い人だなーとか思っていたらその後も

大した苦労もせず、色んな人と仲良くなれた。

 

そんなわけでこっちにきてからは

気の合う友達もたくさんできたし、

素敵な人とたくさん仲良くなることができた。

今までになく人と関わることが楽しくなった。

 

そんな調子で一年近くが過ぎ、ふと気づけばいつしかおれは

自分の事をコミュ障だなんて思わなくなっていた。

 

 

コミュ障という幻想 

そうした経験からおれは思う事がある。

 

世の中で言われているコミュ障、というものが

一体どれほど的外れなのか、ということだ。

 

口の悪い言い方をすれば、クソみたいな情報しか出回っていない。

 

そしてそうした情報の的外れさゆえにどれほど多くの人が苦しんでいるか。

 

まるでコミュ力というものが生まれつき備わっていて

その能力が欠如した人がコミュ障であるかのように言われている。

コミュ障は生まれつきの欠陥人間であるかのように言われている。

 

しかしおれは自身の体験から人がコミュ障になる理由は

生まれつきなんかではない、と確信している。

 

コミュ障が生まれる理由はひとえに環境だ。

 

おれは自分自身が何一つ変わっていないのに

通う大学とか住む地域を変えることで世界の見え方が変わった。

 

したことはただ一つ、環境を変えたこと。

言い方を変えれば、所属するコミュニティを変えた、こと。

それだけで人からの評価も変わった。

見え方も自分自身のふるまい方も変わった。

 

だからはっきり言って

コミュ障なんてのは幻想、なんだ。

とおれは思う。

自分にしっくりくるコミュニティにいなければ

コミュニケーションに問題が発生するなんてある意味当然のことだ。

 

だから悪いのはあなたではない。

コミュ障だ、と思って苦しんでいる人は

ただ自分が自分でいられる場を見つけられていないだけだ。

 

世の中には無数のコミュニティーがある。

そのうちの1つや2つや10やそこら試したくらいで

自分に欠陥があるなんて思わなくていい。

 

おれだって大学の学部やサークルだけでなく、

中学のクラス、高校のクラス、その他いろんな団体を経て、

結局本当に大好きなコミュニティなんて2、3あるかないか、だ。

ぶっちゃけ数うちゃあたる、的な側面すらある。

だからバカな「コミュ障言説」なんて放っておけばいい。

 

とにかくだ。

コミュ障なんて幻想だから、

苦手な環境はあって当たり前だと肚くくって、

自分を変えるよりも環境を変えることを考える。

そういう態度でいるべきなんだと思う。

 

 

かつての自分に伝えたいこと

かつてコミュ障だと笑われて悔しくて部屋にこもっていた自分に伝えたいこと。

それは、もっといろんな外のコミュニティに関わってみるべきだ、ということ。

第二の居場所を作るべきだ、ということです。

 

居場所を一つしかもっていないと、絶対に苦しくなります。

そのコミュニティの中でのしがらみも生まれるし、

そのコミュニティが絶対的になりすぎてしまって、執着もしてしまいます。

そうすると自分の価値がそこでのみ図られることになってしまう。

それはあまりにも運に自分をゆだねすぎです。

もっと自分の居場所は自分でコントロールできるはずです。

 

自分を受け入れてくれるコミュニティは必ずある。

私は自分の経験上、そう感じています。

だから合わないと感じたのだったら、サクッと見切りをつけて色んなコミュニティに飛び込んでみるべきです。

 

今いるコミュニティを必ずしも辞める必要はありません。

学校だったら簡単に辞めれない場合もあります。

そうであればコミュニティには属しながら、距離をとって、別の時間にいろいろとコミュニティを探してみるんです。

そうすると、生きやすさは拡大していくでしょう。

 

ひとつでも自分の気持ちよく過ごせるコミュニティがあるというのは、

大きな支えになります。 

 

もし今、コミュ障だな、と悩んでいる方がいたら、

いまのコミュニティの外で自分の第二の居場所を探してみることをおすすめします。

探すときは、遠くへ行くのもおすすめですよ。

www.yutanosaka.com

 

 

あとは、

こんな生き方ありなんだ!という見方を変えてくれる本を読むのもおすすめです。

山田ルイ53世さんの「ヒキコモリ漂流記」とか▼

ヒキコモリ漂流記

ヒキコモリ漂流記

 

 田中慎也さんの「孤独論」とか▼、かなりおすすめです。

孤独論 逃げよ、生きよ

孤独論 逃げよ、生きよ

 

 そんな視点を変える本を上の二冊以外にもいくつか挙げている記事も書いたりしています。

www.yutanosaka.com

 結局、視点が狭まると、他の可能性を見れなくなってしまうので。

 

 いろんな世界に首を突っ込みましょうよ。

そのほうがきっとラクに生きれるし、楽しく過ごせます。

というか、そうやって過ごせる環境を作っていきましょー!

 

以上!