どうしても嫌いなことを日々やっているわけではないのだ。
比較的興味のある事をやっているはずなんだ。
なのに、なんとなく「これじゃない」ような気がしてしまう。
これは十分にやれていない自分が悪いのか、
それとも今やっている事が本当に自分にあっていない事だからなのか。
そんな迷いを抱えながら日々を過ごしている。
可能性1.自分の問題
楽しさとかやりがいを見いだせていない自分自身に問題があるのかもしれない。
そういったものを見いだせていないのは、本気で取り組んでいないからであって
本気で取り組めば必ずそういったものを見いだせる。そんな言葉も聞く。
確かに、自分自身、本気でやってみればそんな風に思えそうな気がしないでもない。
実際江戸時代とかは職業選択の自由とかほぼなかったわけだけど、
だからと言って、これはおれのやりたい事じゃないんだ、もう辞める、ぷんすか
とか言ってなさそうだし。知らんけど。
選択肢が多すぎて、隣の芝は青い、状態になっているのではないか。
「その他の可能性」に目移りしまくってて、
何に集中すればいいのかわからなくなっているだけなのではないか。
可能性2.対象の問題
一方で、楽しさとかって自分で調整して維持するものではなく、
止めろと言われても止められない、そんなものなのではないのか、とも思うのだ。
だから自分が今現在その時点で楽しめていないのなら、
それは自分が本当にやりたいと思っている対象じゃない。
それもそれで確かにそうである気もする。
実際その道でプロになっていたり一流と呼ばれるような人たちは一様に、
対象が好きでたまらない、というような旨の発言をする。
自分が対象についてそこまで言い切れるのか正直自信はない。
解決策①
最も簡単に思いつく解決策としては、よく言われるようなものではあるが、
一度今やっている事に対して本気になってやってみればいいじゃん、というものだ。
現実的だし、やってみて違うと思ったら、自信を持って他の道に進める。
しかしこの方法の問題点は、
それで本気になれるのならとっくの昔にやってるよ、ということだ。
仮に本気でできたとしても、じゃあどこまで本気でやれば違うと分かるのか、
という疑問が湧いてしまう。
本気というものに上限なんてないような気もするから、
そうするとこの確認作業には終わりがないことになってしまう。
つまり最終的にこれは違うと決めるのは己の感覚ということになってしまい、
結局今の状況と何にも変わっていないように思える。
でも一番現実的で、堅実で、強い方法だと思う。
解決策②
色んな可能性が見えちゃって目移りしてしまうのは、経験が少ないからだ。
だから色んなことを経験してみて、視野を広げたら、
自分に合っているものは自ずとわかってくるよ。
そういう解決策もあるだろう。
この方法はすごく楽しそうだし、ポジティブでアクティブで素敵だ。
しかし、この方法が本当に「これじゃない感」を払拭してくれるかは疑問が残る。
なぜなら既に興味あることを選んで経験してきた結果として
そのうえで今やっていることを選んでいるわけで、
この先それよりも興味のある何かが現れる可能性は低いように思うからだ。
やりたい事はすでにやっている事の中にあるんじゃないのか。
今まで人生で選んできた基準が一ミリも興味じゃなかったのなら
この方法が良いのかもしれない。
解決策③
「やりたいことなら既にやっているのだ理論」に基づけば、
すでにやってしまっている事の中にやりたい事はあることになる。
だとすれば自分に対する見方が間違っているから「これじゃない感」を
抱き続けてしまっている事になる。
自分に対する分析が甘すぎるがゆえに見いだせないわけだ。
この方法は既に持っているもので勝負できる、という希望を持たせてくれる。
一方で、どうにも方法としては精神論に比重が大きく曖昧に感じられる。
ただし個人的には「やりたいことなら既にやってしまっている理論」は
かなり納得できる考え方ではあると思う。
いかに自分に対する視点を変えることができるかどうかがカギとなりそう。
結局
結局どうすればいいんだよ、という統一見解は示せなかった。
だって個々人によって抱えている事情も背景も違うだろうから。
しかしこうして整理してみると見えるものもあるのではないかと思う。
なんにせよ「これじゃない感」の解決は人生を気分よく進めるためには
かなり大事そうだなあ、と思う。