のさかんぱにー!

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のさかんぱにー!

大好きな「音楽」と「自然」をキャリアにする!

残念な自分、無様な自分のままで宣言する。だからこそ表現になる。

音楽活動をしている。

 

そういうと「すごいね」「がんばれ」ってたくさんの人が言ってくれる。

それは嬉しくもあり、照れくさくもあり、そして、不安でもある。

 

不安。

この不安はたぶん「音楽をやっている人」と見られることへの不安なのだと思う。

「楽器がうまい人」という見方をされることに、未だに僕はびびっているんだと思う。

 

音楽をやっていると、楽器が上手い人に、それはもう、腐るほど出会う。

自分より技術がある人は、星の数ほどいる。そんな当然の事実を己の肌で知る。

だから、せっかく応援してくれた人にいつか「がっかり」されるのではないかと、怯えてしまう。

 

自分が好きで音楽しているのに、「音楽をやっている人」と見られるのが不安だなんて、ちゃんちゃらおかしい、と思ったかもしれない。

でも、自分が好きな分野で勝負しているからこそ、自分の拙さが見えてしまうわけで。

未熟さが否が応でもみえてしまうのだ。

 

自分の音楽が未熟であること、そんなのは誰よりも自分自身が一番よく分かっている。

無様なステージだったり、ダサい演奏なんてのは、掃いて捨てるほど、経験してきた。

足りないことだらけだと、心の中でいつだって叫んで、わめいて、痛感している。

爆発しそうなステージ後を一体何度経験してきたか。

 

だから、声高々に宣言するのは、不安なのだ。

「はーい、音楽の人ですよー!ちゅうもーく!」って言うのは。

 

不安だし、恥ずかしいし、めんどくさい。

 

 

 

でも、それでも、僕たちは、宣言しないといけないのだと思う。

不安の中で、声高に言い切らないといけないんだ。

才能だとか、センスだとか、頭にチラつくそんな言葉を必死で飲み込んで、震える手を挙げないといけない。

それが、その震えが、「表現する」ということなのだから。

 

何かを始める時。何かを世に出す時。

僕たちは、どこかの誰かの「がっかり」だとか、「嘲笑」だとか、「批判」だとか、そういう諸々を超えていかないといけない。

そう考えた時、もはや、そこを越えるまでが音楽なのだ、と言ってもいいほどだ。

越えて初めて、その音の羅列は音楽になり、

その超え方をデザインすることもひっくるめて、僕らはそれを「表現」と呼ぶのだ。

 

 

 

結局のところ、僕は間違いなく、天才ではない。

音楽が好きだからこそ、ギターが好きだからこそ、それは分かる。

しかし、だからといって「天才でないから表現しない」というのは、態度として間違っていると思う。

そんなのは、欺瞞だ。

 

残念なまま、醜いまま、無様なまま、それでも「音楽やってます!」と宣言していく。

それをしない人に、何かを見つけることはきっと出来ない。

届きはしない。

 

だから、やめねえぞ。

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